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聖書の言葉

あなたがたが近づいたのは、シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム、無数の天使たちの集まり

新約聖書 ヘブライ人への手紙 12章22節

西堀元によるメッセージ

コロナ禍が長引くことで、生活でご苦労をされている方が多くいらっしゃるのではないでしょうか。わたしも身近でコロナになって自宅で療養された方やホテルで治療をうけなければいけなかった人の話を聞きました。病気になることはつらいことです。そしてただ病気になっただけでなく、家の中やホテルで一週間、もっと長い時間を一つの場所でじっとしていることは本当につらいことだと思います。早くこんな状況が終わればよいのにと思われる方もきっと多いではないでしょうか。

今日、ご紹介したいのは、牢屋に12年間入れられた人の話です。1週間やひと月でなくて、12年です。自分なら12年も牢屋の中にいるなんて、とても耐えられないと思います。ただ牢屋に入れられただけでも大変ですが、この人は牢屋の中で本を書きました。その本が後に、聖書のほかでは一番読まれた本の一つとなったといわれています。牢屋の中からベストセラー。転んでもただでは起き上がらないような生き方をどうしてその人はできたのでしょうか。少しの時間でも孤独でいることに耐えるのは難しいことです。ですから、牢屋に12年もいた人の言葉なら、じっとしていることを強いられることが多い私たちの今の生活にきっと役立つヒントがありそうではないでしょうか。

その人の名前はジョン・バニヤン、そして本の名前は『天路歴程』です。この本は1678年に書かれました。日本でいうなら江戸時代です。一言でいうと旅をするクリスチャンのお話です。牢屋の中にいながら旅の話を書くことができるなんて、すてきな人のように思えます。でも、そんな昔の人の書いた本が面白いでしょうか。それが面白のです。この本の主人公の名前は「キリスト者」。ちょっと今で言うと直接的すぎる登場人物の名前ばかりなのですが、登場人物の名前がそのままその人の性格を表しています。たとえば「口八丁通りに住む口上手という者の息子である饒舌者」など、言葉を語らなくてもその人物が目に浮かんでくるようです。

さて主人公キリスト者は天の都を目指して一人旅に出ます。手には一冊の本、背中に大きな荷物を背負って。ある日、本、つまり聖書を読んでいて、彼は自分の住む町が天からの火で焼かれることを知ります。本当は奥さんも子供たちも自分と一緒に出発したかった。でも信じてもらない。そこで必死に引き留める家族を振り切って、彼は町から走り出た。耳に指を突っ込んだまま、全力ダッシュで出て行きます。孤独な旅の始まりです。

さて、キリスト者の旅は楽ではありません。まず早々に「落胆の沼」に落ち込む。途中で出会う人たちがみんな個性的です。例えば「世才氏」には道をそらされ、「遵法者」からは律法を守れば楽になれるとだまされる。でも「伝道者」に会い道を正され十字架へとたどり着く。すると彼の肩から自分の力では取れなかった重荷がほどける。でもゴールはまだまだ先です。「屈辱の谷」では悪魔と激く戦いました。「空の市場」ではあらゆる空しいものが売られています。家、土地、名誉、さらに人間まで。彼が何も買わないと分かると仲間の「信仰者」が殺されてしまう。道をそれ「絶望者」に命をねらわれ、何とか脱出して、ついに死の川を渡って「天の都」に迎えいれられる。本当に辛くて長い信仰の旅路だったのです。

お分かりのように作者自身の激しい信仰の戦いが、『天路歴程』の主人公のモデルだと思われます。キリスト教の説教者であった作者は、福音を語ったために投獄されました。結果的に12年続く獄中生活の始めに、彼はある覚悟を決めます。妻にも四人の子にももう会うことはないだろう。家族、健康、娯楽、自分自身、自分にとってこれらは死んだものなのだと。「そうして目に見えない神によって生きることを学んだ」とバニヤンは自伝の中で書いています。文字通り、一人で神の御前に彼は立ったのです。

バニヤンは牢屋に入れられた時に考えました。もしも牢屋にいれられることだけを考えていたら、島流しにされると決まったら動揺するだろう。さらに島流しが一番つらい仕打ちだと思っていたら、死刑と宣告されたら、面食らうに違いない。だからこの困難を切り抜ける最善の方法は、来世のことはキリストにより頼むしかないと。そんな決意をバニヤンは心にいだいて牢屋の生活を生き抜いたのです。

つらい時に自分を支えてくれる言葉があると思います。あの人が語ってくれた励ましの言葉が自分を倒れないようにしてくれたということがあると思います。同じようにバニヤンの牢屋生活を支えた言葉ありました。それは聖書の言葉です。この言葉を心に思い浮かべると、牢屋の中でも笑うことができたと書いています。

彼が牢屋の中で座右の銘のようにしていた聖書の言葉を一つ紹介させていただきます。「あなたがたが近づいたのは、シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム、無数の天使たちの集まり」(ヘブライ人への手紙12章22節)。少しわかりにくいかもしれませんので、言い換えるとバニヤンは天国を信じていたのです。牢屋の中にいながら天国の幻で心を満たされた。それが彼の心の支えだったのです。先が見えないとき心は不安になります。バニヤンは命すら危ぶまれる中で、この先、何が本当に自分を待っているのかを聖書を通してがっしりとつかんでいました。私たちの命は死んで終わりではないのです。天国が待っているのです。バニヤンと同じように皆さんも天の都を目指す旅を始めませんか。旅のお供は聖書です。

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