世界に一つの作品

ラジオ放送 キリストへの時間のトップページへ戻る

聖書の言葉

わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。

新約聖書 エフェソの信徒への手紙 2章10節

國安光によるメッセージ

うちの二人の娘たちは、最近、毎日いろんなものを作っています。紙と、はさみと、のりと、テープと、色えんぴつを使って、絵を描いたり、動物や建物を作ったり、娘のテーブルにはもう作品があふれかえっています。

創作している娘たちを見ながら、子どもの創造力はすごいな~!と思われます。完成したら、大抵、「パパ、これ見て!」と夕食の時に発表してくれます。一つ一つの作品に個性があって、感動します。「おお~すごいな~!どうやって作ったん?」と聞くと、娘は興奮しながら話してくれます。

話を聞くと、作品ひとつひとつにストーリーがあって、面白いです。いま、この時に、手で生み出された作品は、かけがえのないものですから、親バカだな~と思いながらも、私はアルバムを作って、できるだけ保管しています。

さて聖書は、神様は創造されるお方で、世界と人をお創りになったと教えています。無から有を生み出すことのできる神様は、言葉によって世界をお創りになりました。そして人を土からお創りになりました。それも神に似せて、お創りになりました。「神に似せて」、これはわかりにくい表現かもしれませんが、それは神様を愛し、愛されるという関係を築いて生きることをあらわします。

永遠に生きておられ、創造主であられる神様の被造物として、神と共に生きるということ、ここにこそ、人間が人間となるための、そして人間が本当の平安を与えられ、生きるための、大切なことがあると、聖書は教えています。

イギリスの文学者C.S.ルイスは、『キリスト教の核心』という本の中で、こういうことを書いています。「自然から生ずる生物学的生命は、常に衰え朽ちていく傾向を持ち、そのために空気や水や食物といったかたちで自然から絶えず補助を受けることによって、はじめて生存していくことができるような生命、これをギリシア語でBiosと申します。永遠の昔から、神の中にあり、全自然界を造った霊的生命、これはギリシア語でZoeであります。

ビオスは、たしかにゾーエーに対して、その影あるいは象徴といったある程度の類似性をもっています。が、それは写真と実景との間、彫像と人間との間に見られる類似性にすぎません。ビオスを持っている状態からゾーエーをもつ状態に変わった人間は、一個の彫像が、彫刻された石の状態からほんとうの人間に変わったと同じくらい大きな変化を経験したことになるでしょう。」

私なりに言えば、Biosは漢字で「生命」と書く命のことで、ゾーエーはひらがなで「いのち」と書く命です。神様は、生命と書く、かけがえのない命を私たちに与えてくださいました。その命が、永遠の神のかかわりに生きる時、人間一人一人が自律した存在として生きる、ひらがなの「いのち」に生きる者となる、というのです。

医学が発達し、また人間の価値を生産性というものさしで図ろうとする社会において、この聖書の教える「いのち」のことを、私たちは知らず知らずのうちに見落としてしまうということがあるかもしれません。

最初に、私は子どもたちの作品アルバムを作っているとお話をしました。私たち人間が作品を創るときに、時に失敗したり、間違えることがあります。ですが、たまには、これは良い出来だ!自分の心をよく表現できた。まさに自分の子どものような作品ができた!と喜ぶことがあります。

創造主であられる神様は、失敗をすることがありません。私たち一人一人が、子どものように愛される存在です。神が創られたから、それも神に似せて造られたから、神はそのままで愛すべき存在として私たちにいのちをお与えになったからです。

神様は、人間がそういう「いのち」に生きるために、イエス・キリストを与えてくださいました。イエス・キリストは十字架にかかって、私たち人間の罪を贖ってくださることによって、神様との関係を回復し、私たちを神様に愛され、生かされるものとしてくださったのです。

イエス・キリストを信じ、受け入れるものを、創造主であられる神様は創造してくださいます。神様の作品とされた者は、心の目が開かれ、自分への見方も、他の人への見方、世界への見方が変えられます。

世界に満ちている創造主の御力に驚きつつ、感謝を与えられます。そしてその世界の中で、神の栄光をあらわすための、神の作品として生かされている自分を愛し、喜ぶものとされます。

関連する番組