天を仰ぐ紫陽花の花のように

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聖書の言葉

キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。

新約聖書 エフェソの信徒への手紙 4章16節

望月信によるメッセージ

梅雨の雨が降る中ですが、ラジオをお聞きくださっている皆さま、いかがお過ごしでしょうか。雨が降り続くのはうっとうしいものですが、わたしはこの時期が決して嫌いではありません。花がとても美しい時期でもあるからです。気分が滅入ったときには、家の近くにある植物園に行って、紫陽花の花を見て、気分転換をするようにしています。何年か前に、その植物園で、「天を仰いで」という品種のアジサイを見る機会がありました。ガクアジサイの一種で、茎がまっすぐに伸びて、その頂点に4枚の花びらが重なるようにして開いています。確かに天を仰ぐような姿勢に見えます。とてもかわいらしい丸い花びらを、力いっぱい開いて、天を仰いでいる姿が、とても印象的でした。

アジサイは、小さな花びらがたくさん集まって、一つの大きな花を作り上げています。一般的に花びらだと思われているところは、実は「がく」なのだそうですが、いずれにせよ、一つの「がく」ではなく、たくさんの「がく」が集まって、私たちの目には一つの花として映ります。似たように、小さな花がたくさん集まって、私たちの目に一つの花に見えるものとして、ヒマワリがあります。ヒマワリの花びらに見える部分は、実は舌状花と呼ばれる飾りの花なのだそうです。本当の花は、中央の黒い部分で、そこに小さい花が集まって咲いていて、ですから、あの黒い部分からやがて種が取れるのだそうです。アジサイもヒマワリも、小さな花が集まって、互いに結び合わせられて、一つの花、一つの共同体を造り上げているのだなと思わされます。

先ほど、お読みした聖書の御言葉は、主イエス・キリストによって集められている教会のこと、教会に集められている人たちのことを体と呼んでいます。教会を一つの体にたとえて、一人ひとりはその体の節々、体の部分であると言います。一人ひとりが一つに結び合わせられ、互いに補い合うように組み合わされて、一つの体として造り上げられていきます。小さい花がたくさん集まって一つの大きな花を造り上げている、アジサイやヒマワリの花に似ているなと思わされます。

けれども、私たちは、一人ひとり違う個性や人格を持つ人間であって、ただ単に集まって一つの体を造り上げることはできません。いったいどのようにして一つの体として結び合わされ、成長することができるのか。それが、「愛によって」、と言われます。この「愛」とは、一つには、生けるまことの神が主イエス・キリストによって私たちに示してくださった、神の愛です。神は、私たちを、罪のゆえに滅びるままになさるのではなく、私たちを罪から救い出し、新しい命を与えようとして、御子イエス・キリストを十字架に引き渡されました。私たちの罪を背負って、神の御子である主イエス・キリストが十字架につけられてくださったのです。その十字架の愛に基づいて、主なる神は、私たちを一つのキリストの体として生きることへと召し出してくださっています。私たちは、こうして、キリストに結ばれて、一つの共同体に生きることへと招かれているのです。

そして、「愛によって」、この「愛」とは、もう一つには、私たちの愛、神を愛し、隣人を愛する、私たちの愛です。神の愛のゆえに、私たちは、神を愛すると同時に隣人を愛して、一つの共同体を建て上げることに、自ら励みます。一つの体の節々として、互いに補い合うことに努めて、しっかり組み合わされ、結び合わされていく。キリストの罪の赦しがその土台となります。罪の赦しの恵みに基づいて、互いに理解し合い、受け入れ合い、互いの罪を赦し合うことによって、一つの体を造り上げていきます。また、自分の分に応じて働いて、体全体を成長させることに努めていく。そうして、教会は、一人ひとりは小さな花であっても、全体として、大きな美しい花を開かせるものとされるのです。

そのように、一つの体として成長させられ、造り上げられていくというのは、本来、ただ教会がというだけでなく、私たちの属している一つひとつの共同体、この社会の一つひとつの共同体すべてが目指すべき姿なのだと思います。そうして、私たちは、この社会を共に造り上げていきます。主なる神は、私たち皆を主イエス・キリストに結ばれて生きることへと招いておられます。私たちが神の愛によって生きるときに、教会がキリストの体として成長させられ、造り上げられるだけに留まらず、この社会の全体も、互いに補い合い、組み合わせられて、成長させられるのだと思うのです。そうして、私たちが皆で一つの美しい花を開かせて、天を仰ぐものとされるなら、それはなんと素晴らしいことでしょう。

ぜひ主イエス・キリストに示されている神の愛を知り、愛によって一つの体として造り上げられていく道をご一緒に歩んで参りましょう。

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