孤独な時もひとりじゃない

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聖書の言葉

「彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて、必ず救い出す」と主は言われた。

旧約聖書 エレミヤ書 1章8節

保田広輝によるメッセージ

今日は旧約聖書に登場するエレミヤのお話をいたします。エレミヤの時代、イスラエルの北王国は、アッシリア帝国に滅ぼされ、残っていたのは、エルサレムを中心とした南王国のユダ王国だけでした。しかし、ユダ王国も、真の神ヤハウェの信仰から離れ、人々は偶像で造られた神々を拝んでいました。

預言者エレミヤは、ユダ王国の人々が悔い改め、偶像の神々を捨て、真の神ヤハウェに立ち返らなければ、新しく起こるバビロン帝国に滅ぼされると警告し、悔い改めを求めました。しかし、人々に受け入れられず、ユダ王国は、バビロンに攻められて崩壊し、人々は奴隷にされました。

エレミヤは、この出来事を悲しみの中で語ったのです。しかし70年後には、バビロン捕囚から解放されて、イスラエルの地に帰れるという神様の約束を、希望として宣べ伝えました。

エレミヤの時代は、神の民イスラエルが、巨大な帝国に挟まれて、揺さぶられる時代でしたが、エレミヤは、イスラエルが、目に見えない生ける真の神様に信頼することを一貫して、訴え続けた預言者でした。

『エレミヤ書1章4~8節』をお読みします。

主の言葉がわたしに臨んだ。「わたしはあなたを母の胎内に造る前から、あなたを知っていた。母の胎から生まれる前に、わたしはあなたを聖別し、諸国民の預言者として立てた。」

わたしは言った。「ああ、わが主なる神よ、わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。」

しかし、主はわたしに言われた。「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ、遣わそうとも、行って、わたしが命じることをすべて語れ。 彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて、必ず救い出す」と主は言われた。

エレミヤは、20歳くらいの「若者」でありました。当時はイスラエルの神殿で働く祭司も、30歳になってから奉仕ができたので、20歳というのは、とても若く、人々の指導をできる年齢ではないので、エレミヤは尻込みしたのです。

でも、エレミヤが自分の年齢と未熟さを理由に、預言者としての働きを拒むのを神様は聞き入れず、一方的にエレミヤを預言者に任命しました。神様は、エレミヤが生まれる前から、エレミヤを預言者として選んでいました。そして、神様は、「わたしがあなたと共にいて、必ず救い出す」と約束して、エレミヤを立ち上がらせたのです。

しかし、ユダ王国の王と国民は、悔い改めず、バビロン捕囚の預言を語るエレミヤを激しく迫害します。エレミヤ書を読んでいくと、エレミヤが受けた迫害の苦しみが次々と描かれています。牢屋に入れられたり、泥の穴の中に閉じ込められるといった拷問を受けました。エレミヤを襲った最大の苦しみは、孤独でした。エレミヤの祈りは、神様への激しい嘆きになっていきました。こうした祈りが、エレミヤ書の11~20章に散らばっていまして、最後は、自分の誕生日をたくさん呪う、暗い嘆きで終わります。

エレミヤの苦難は、「神様の言葉」を語るが故の苦しみでありました。だから、神様の言葉を語ることをやめようとしました。しかし、「神様の言葉」はエレミヤの内で燃え上がり、自分の使命を果たしていったのです。

大きな苦難を受けたとき、どんな人でも初めは、「死にたい。もうこれ以上生きたくない」「生まれて来なければ良かった」と嘆いてしまうことでしょう。でも、エレミヤの苦難に満ちた人生は、イエスキリストの十字架を暗示しています。人間への愛を全うしようとされる神様の意志の下に、自分を捨てて、徹底的に低くなられたイエス様の姿が、神様の言葉を携えて歩むエレミヤの背後に浮かんでくるのです。

エレミヤ書を読むと、苦難は、運命のイタズラや悪霊の仕業でもなく、先祖の怒りや罪の結果でもなく、神様の意志が全うされ、神様の計画が実現するための道である事が分かります。

そして、神様の計画には続きがあります。敗北のように見える、イエス様の十字架の中に、私たち人間への愛を貫いた神様の勝利があること。神様の計画は、やがて復活の勝利に、イエス様を信じる人たちがあずかることができる未来へと続いているのです。

どうしてエレミヤは、40数年間にわたり、苦難の中でも、神様の言葉を語り続けることができたのでしょうか。それは、力の源である生ける真の神様が、いつも自分と共にいて下さることを信じたからです。

人間にとって本当の幸せは、「どんな状況や環境の中でも、神様は自分と共におられる」ということを知ることです。そして、苦難とは、神様と接触するための「痛み」なのだと思います。自分の力ではどうしようもない状況に置かれたとき、素直に「助けて下さい」と祈ることで、神様の慰めを心から体感することができるのです。生きていて良かったと、人生が喜びに変わるのです。

私もエレミヤと重なるところがあります。遺伝子の突然変異による生まれつきの難病になったことは、自分で望んだことではありません。

でも、私が生まれる前から、生まれつきの難病を抱えて生きていくように、神様はお選びになっていましたが、難病で生まれて来たことが嫌でした。

でも、神様は、私が難病クリスチャンとしての働きを拒むのを聞き入れることはなく、一方的に任命されました。たくさんの時間が掛かりましたが、神様の言葉が少しずつ立ち上がらせてくださり、難病を受け入れることができました。

自分の人生は神様の計画の中にあるのですから、私が難病クリスチャンとして生きていくことで、神様のみ心が実現されていくのです。私がこの世界で、生ける真の神様を希望にしながら、難病クリスチャンとして生きていくこと自体が、神様のみ業のお手伝いをしているのだと思います。自分の苦しみだけを見るのではなくて、神様の計画の実現というダイナミックな視点から自分の苦しみを捉えたら、心が高く上げられました。

人間を一番絶望させるものは無力感です。「何もできない自分は生きていても意味がない」「誰の役にも立っていない」と思い始めると、苦しくなります。しかし、人間が生きる価値は、自分や人が決めるのではなく、自分を存在させている神様が決めて下さいます。

人工呼吸器を24時間使っていて、親指しか動かせない難病の私のように、たとえ何もできない弱い自分であっても、どんな人にも生きる役割を与えて下さる神様から愛されている存在だからこそ、自分は生きる価値があるのです。生きる喜びとは、そのような神様の愛を知ることなのです。

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