喜びと感謝の挨拶

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聖書の言葉

わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、 あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。

新約聖書 フィリピの信徒への手紙 1章3,4節

金原堅二によるメッセージ

ある、クリスチャンの方と手紙のやりとりをしていたときのことです。その方からいただいた、ひとつのお手紙は、次の言葉で始まっていました。

1日、1日、主(神様)と共に、そして教会と共に、お元気にお過ごしのこと、大きな喜びです。

この手紙をくださった方とは、私がまだ牧師になるために神学生として学んでいるときに、教会の中で出会いが与えられました。そして、その後も親しくしていただいています。その方が、手紙を書き記すにあたって、まず「神様と共に、教会と共にあって、私が元気であることを、大きな喜び」だと言ってくださったのです。

これは、クリスチャン同士であるなら、もしかしたら何気ない挨拶の言葉だと思われるかもしれません。けれども、この何気ない日常が、神様と共にあって守られていることが、実は言い尽くせない感謝であり、喜びであることを改めて思いました。イエス様を信じて信仰生活を送っているクリスチャン同士の交わりは、ただ単に「仲がよろしい」ということを超えて、お互いが神様を喜んで、感謝の中で親しい交わりをもつ、そのような尊いものであります。

先ほど聖書を1箇所お読みしました。これは、パウロという人が、フィリピという町のクリスチャンたちに書いて送った手紙の初めの挨拶文です。

わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。

パウロのこの言葉には、喜びと感謝が溢れるように満ちています。それは、フィリピの信徒たちが、神様と共に、そして教会と共に、1日、1日を過ごしていたからに他なりません。

もともとフィリピの人たちは、旧約聖書に親しんでいたユダヤ人たちとは違う外国の人たちでありました。もともとは聖書のことはよく知らない人たちでありましたが、パウロが初めてフィリピの町でキリストの福音を宣べ伝えたとき、神様の不思議な導きがあって、心開かれて、クリスチャンになっていったのです。

そして、フィリピの信徒たちは、パウロの福音宣教をよく助ける人たちでもありました。手紙を最後まで読んでいくと、フィリピの信徒たちがパウロに支援物資を送っていたこともわかります。フィリピの教会はおそらく小さな教会で、人の数が多かったかというと、おそらくそうではないだろうと思いますが、そうでありながらもパウロを助け、またパウロもこの教会に大変好意をもって、お互いに親しい、信頼関係を築いていたことが、この手紙のあちこちから伺えますし、今日お読みした挨拶の言葉からも垣間見えてくるわけです。

いま申し上げました通り、フィリピの群れは、聖書のことを詳しく知らない異邦人と呼ばれる人たちが信仰者として起こされ、成長していった小さな教会でありましたが、それでもなお神様にお仕えする者として、パウロの伝道を援助し、またユダヤ地方のキリスト者のために援助を送っていたことがわかっています。パウロから受けた教えを受け止め、健全な共同体を形成しようとして、奉仕者たちを中心に、人々は既に具体的な働きへと導かれていたのです。もちろん、人々の間で摩擦、と言いますか、人間関係のトラブルも起こっています。そのことは手紙を読み進めるとわかりますが、それでも教会共同体がひとつの群れとして一致を保つことができるのは、パウロから受け取ったキリストの福音を真剣に受け止め、神様を見上げて信仰生活を送っているからなのですね。

手紙の差し出し人であるパウロと、受取人であるフィリピの信徒たちは、色々な違いがありました。パウロは純粋なユダヤ人です。一方で、フィリピの人々はユダヤ人とは違う文化や背景の中で育ってきた人たちです。パウロは各地を転々と移動しながら福音を語ることに専念していますが、他方でフィリピの信徒たちはひとつの場所で信仰生活を送る人たちです。こうした様々な背景をもった人たちが一緒になって喜びと感謝に満たされているのは、彼らの真ん中にイエス・キリストがおられるからです。イエス様がその交わりの中心にいて、こうして、皆がイエス様に救われた喜びを分かち合うことができるのです。

今の教会もまた、色々な背景をもった人たちがひとつの共同体を形作っています。世代が違います。幼い頃から教会に通われている方々がありますし、ある段階で神様に導かれて、意を決して教会に来られる方々があります。性格も違えば、何かの奉仕を一緒にするときの、やり方がそれぞれ違います。様々な背景をもった私たちですが、その真ん中にはいつも「イエス様がおられる」。「イエス様によって、それぞれの違いを乗り越えて私たちは一つに結ばれている」のです。このことが、手紙のやりとりをしているときにも、喜びと感謝として現れてくるのです。

教会には色々な背景をもった人たちの集まる共同体です。そして、イエス様にあって、どなたでも喜んで受け入れられる場所です。あなたの町の教会に、ぜひ足を運んでみてください。この喜びと感謝を、ご一緒に分かち合おうではありませんか。

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