与える幸い、受ける幸い

ラジオ放送 キリストへの時間のトップページへ戻る

聖書の言葉

互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。

新約聖書 ローマの信徒への手紙 13章8節

禰津省一によるメッセージ

ラジオをお聞きくださっている皆さま、お変わりなくお過ごしでしょうか。先週のこの時間には「受けるより与える方が幸いである」と題してお話をさせていただきました。このみ言葉は、初代教会から伝えられている主イエス様の御言葉として、初代教会の指導者パウロがわたしたちに告げた言葉でした。

パウロはまた、ローマの信徒への手紙第13章8節で、次のように語っております。「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません」。

このみ言葉に先立って、パウロは、同じ13章で、「人は皆、上に立つ権威に従うべきです」と教えています。さらに、すべての人々に対して自分の義務を果たしなさいと言い、税金をきちんと納めるようにとも勧めています。

わたしたちが、この世の中で健やかに生きてゆくためには、人と人との間においても、あるいは国家をはじめとする様々な社会集団の中においても、それが正当なものである限りは、きちんと義務を果たさねばなりません。使徒パウロは、ローマ帝国の都である大都会ローマで暮らすキリスト者たちに向かって、そのことを勧めております。

ずいぶん昔のことになってしまいましたが、わたくしは学校を卒業して社会人となったとき、会社の先輩から同じようなことを忠告されました。先輩はこう教えてくれました。「たとえ麻雀の勝ち負けでも、いや、それが遊びのことであればこそ、貸し借りは1円たりともいい加減にするものではない」。

当時、まだわたしは教会に行ったこともなく、さきほどの聖書の言葉を読んだこともありませんでした。けれども改めて社会人になるということの自覚に目覚めたことを思い出します。

神さまを信じ、信仰を持って生きている人は、互いの義務を誰よりもきちんと果たさなければならないと思います。借りを返す人、約束を忘れない人、折り目正しい人、きちんと義務を果たす人は、多くの人から信頼されます。

しかし、初めに掲げました聖書のみ言葉には、こう付け加えてられています。「互いに愛し合うことのほかには」。聖書の別の翻訳では「ただし、愛し合うことは別です」とも訳されています。愛とは、互いが果たすべき貸し借りの中には入らない、そもそも入れることができないというのです。借金、義務は必ず返さねばなりません。ただし、互いに愛し合うことは別なのです。

わたしたち日本人は、小さい頃から「人に迷惑をかけてはならない」「受けた恩は必ず返すように」と教えられます。それゆえ社会生活の貸し借りに人一倍敏感なのではないでしょうか。けれども、聖書が教える愛は、そのような貸し借りをはるかに超えるものです。神様の愛は、イエス・キリストの十字架と復活の愛です。わたしたちを生かし、罪の赦しを与え、永遠の命に生かしてくださるという、とてつもなく大きな愛です。それは、とても自分の力で返せるようなものではありません。18世紀のドイツ敬虔主義の聖書注解者、アルブレヒト・ベンゲルという人は、「愛は、不死身の負債である」と言っています。

イエス・キリストに愛されていることを知る人は、その大きな愛の中で生きることができます。その人にとっては、愛することは、貸し借りの義務を果たすことではありません。そうではなくイエス・キリストに従って生きることです。そしてそこに大きな幸いがあるのです。

わたしたちは、愛を与えること、受けることにもっと習熟する必要があります。返さなければならないことを恐れて、受けることを躊躇したり、あれほどのことをしてあげたのに感謝がないとつぶやいたりするわたしたちです。貸し借りはきちんと返さなければなりません。しかし、愛が、単なる貸し借りの義務になってしまうなら、それはもはや愛ではなくなってしまいます。誰にも借りがないようにとびくびく生きるところには、本当の幸いも平安も存在する場所がありません。苦しいとき、助けを必要とするとき、おおらかに、喜んで、感謝して、愛を受けたいものです。

もう一度、初めに掲げたみ言葉をお読みします。「誰に対しても、何の借りもあってはなりません。ただし、互いに愛し合うことは別です」(ローマの信徒への手紙13章8節、新改訳)。神様の愛に心を向けて、互いに愛し合いましょう。

関連する番組