たった一人のクリスマス

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聖書の言葉

わたしは、あなたがたの兄弟であり、共にイエスと結ばれて、その苦難、支配、忍耐にあずかっているヨハネである。わたしは、神の言葉とイエスの証しのゆえに、パトモスと呼ばれる島にいた。

新約聖書 ヨハネの黙示録 1章9節

吉田隆によるメッセージ

今年もまもなく終わります。今週の土曜日にはクリスマスもありますね。ですが、クリスマスを祝おうなどという気分になれない人もたくさんおられるのではないでしょうか。コロナ禍がもたらした深刻な影響の一つに、社会の分断、そして多くの人の孤立化、孤独化ということがあります。それは“集まるな、人と会うな、一緒に食事をしてはいけない”と言われ続けた結果です。感染を防ぐために言われてきたことですが、人との関係やコミュニケーションをも断ち切ってしまいました。そうでなくとも、この社会で孤独を感じる人が増えていたのに、それがいっそう加速したように思います。

そんな中でのクリスマスです。クリスマスは、やっぱり家族や友人や、他の人と一緒に過ごさなければ楽しくない。だから、クリスマスなんて祝う気分になれない。あるいは、本当は一緒に祝いたいのだけれど、人と会うのが不安で、あるいは心や体の痛みを抱えて外に出ることも教会に行くこともできないで、この放送をお聞きになっている方もおられるかもしれません。

そんな皆さんに、今日は不思議なお話をしたいと思いました。全くの孤独の中で前代未聞のクリスマスを祝った、と言いましょうか、前代未聞のクリスマスを与えられた人がいるのです。その人のお話をしようと思いました。

聖書の一番最後に「ヨハネの黙示録」という書物があります。名前だけはお聞きになった方も多いのではないでしょうか。さて、この黙示録を書いたヨハネという人は、パトモスという島に一人ぼっちでいたのです。なぜ、そんな所に一人でいたのかと言えば、実は、イエス・キリストを宣べ伝えたということで迫害を受けて、島流しになったからです。完全に隔離された島の中で、毎日毎日、来る日も来る日も、彼は一人ぼっちでした。皆と一緒に教会に行くことも礼拝することもできない孤独の中にいました。

ところが、ある日曜日のことでした。ヨハネに語りかける声がありました。それは、今は天におられるイエス・キリストの声でした。そうして、ヨハネは、このイエスの声を聞き、そして、イエスから与えられた数々の幻を見ていくのです。それがこの黙示録の内容です。

さて、どんな声を聞き、どんな幻を見たのか、少しだけお話しましょう。まず、ヨハネがキリストから語られたのは、地上にある教会に対する戒めと励ましの言葉でした。キリスト教が迫害されていた時代ですから、その中でなお信じ続ける、なお集まり続けることは、容易いことではありませんでした。その意味では、当時の教会はよくがんばっていたのだと思います。けれども、教会も人間の集まりです。いつの間にか、いろいろな弱さや過ちを犯すようになっていました。ある教会に対して、イエスは言われます。あなたは、初めの頃の愛から、その頃の熱心から離れてしまった。他人からの批判を恐れたり、この世の誘惑に負けたり、信仰生活がマンネリになっている。熱くも冷たくもないと、実に厳しい言葉です。けれども他方で、一つ一つの教会の長所もあげて、終わりまで忠実でいなさいと励ますのです。

興味深いのは、目に見えないはずのイエス・キリストが一つ一つの教会のことをよく知っておられるということです。その長所も短所もよくご存じだということです。イエス・キリストは今も、そして今日も、一つ一つの教会と共におられる、その真ん中におられるということなのです。キリストの教会は、そのことを信じなければなりません。ただ毎年の恒例行事を祝うように、マンネリ化したクリスマスを祝うべきではないのです。悔い改めるべき点は悔い改めて、まさに教会のただ中におられるキリストを心から喜び祝う礼拝をささげるべきなのです。

そんなお言葉をいただいたヨハネでしたが、しかし、自分自身はどこに行くこともできない。教会にも行けない。結局、ヨハネは一人ぼっちなのでした。ところが、そのようなヨハネに対して、今度は、「わたしの所に上ってきなさい」とイエスはおっしゃったのです。するとヨハネは霊に満たされて、不思議な幻を見ました。それは、天上での礼拝の姿でした。この世のものとは思えない輝き、あらゆる生き物や人々が、天におられる神とイエス・キリストを賛美する大合唱をヨハネは耳にするのです。

私が知らなかっただけで、実は、今、この時も、天国ではそのような礼拝が行われている。ここには、私一人だけだと思っていたけれど、天と地をつないでくださるイエスがおられる。そして、この天国の礼拝に、私もまた心を挙げることができる。その礼拝に私も預かることができる。ヨハネは、そう確信したに違いありません。

クリスマスは、その天上から2000年前にこの世界に下って来られた方を記念する時です。しかし、今日、私たちが真に祝うべきクリスマスは、その方がおられる天へと心を上げることなのです。そして、それは、たった一人のあなたでも祝うことのできる、特別なクリスマスです。そんなあなたに、主イエスの恵みが豊かに注がれますように。アーメン。

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