触れた者は皆いやされた

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聖書の言葉

一行が舟から上がると、すぐに人々はイエスと知って、その地方をくまなく走り回り、どこでもイエスがおられると聞けば、そこへ病人を床に乗せて運び始めた。村でも町でも里でも、イエスが入って行かれると、病人を広場に置き、せめてその服のすそにでも触れさせてほしいと願った。触れた者は皆いやされた。

新約聖書 マルコによる福音書 6章54~56節

袴田清子によるメッセージ

コロナ禍の中で、私達は命と死、苦しみと病を自分自身の問題として感じて生きて来たのではないでしょうか。病の癒しに関して、私の心に深い慰めを届けてくれた聖書の御言葉から、今日はお話させて頂きたいと思います。

聖書には、イエス・キリストが人々の病を癒された物語が沢山記されています。先ほどお読みしました聖書の御言葉は、イエス・キリストが悪霊を追い出し、病気を癒し、嵐を静め、死を克服されたことが記されている、6章までのまとめの言葉です。

主イエスと弟子達が乗った舟は、嵐に流されて、目的地と違う場所に漂着してしまいました。しかし、人々は直ぐに、主イエスだと知って、主イエスのところに、病人を運び始めたのです。主イエスには病を癒す力があるということが、その地域に、既に伝わっていたようです。人々は、この予期せぬ癒しの機会を、何としてもつかもうとしました。そこで、その地方をくまなく走り回り、病気の人を床に乗せたまま連れて来たのです。人々は必死に、家族や知り合いの病を癒してもらおうとました。

村でも町でも里でも、主イエスが行かれる所では何処ででも、病人が広場に置かれたとあります。それは、せめてその服のすそにでも触れさせてほしいと願ったからです。「服のすそに触れさえすれば癒される」というのは、12年間長血を患った女性の物語を思い出させる言葉です。それと共に、「服のすそにでも触れさせてほしい」というのは、奇跡を起こすことのできる、主イエスに対する謙りと、ある種の信仰を表わしています。人々は、そのように主イエスに期待していました。そして、必死だったのです。人々は、イエス・キリストがどのような御方か、本当は分かっていなかったかも知れません。しかし、なり振り構わぬ、姿勢であっても、触れた者は皆いやされたと聖書は記しています。

イエス・キリストとは一体どのような御方なのでしょうか。今日の御言葉に至るまでの御言葉を見ても、イエス・キリストが、権威ある御方であると分かります。悪霊に対して、病に対して、人間の罪の赦しに対して、自然界に対して、そして、死に対して、権威ある力をお持ちの御方であることが分かります。実に、マルコによる福音書は、イエス・キリストは「神の子」であると一貫して記しています。

この箇所では、イエス・キリストはご自分から一言も語っておられません。ただ、病人が触れるという行為を受けておられます。そして、イエス・キリストに触れた者は皆癒されたと書かれています。病の者がなすことは、ただ、手を延ばすということでした。弱く、力ない、嘆きに満ちた、汚れた、罪深い手を、神の御子イエス・キリストに延ばしさえすれば、触れた者は皆癒されたのです。

病は、人間を謙らせます。病は、それまで持っていた自分の力や能力をそぎ落とします。それまで頼みにして来たものの真の価値を暴きます。生死を左右する、試練の中で、何が最も大切なことなのか、何が自分にとって守りたいことなのか、私達は悟らされるのだと思います。そして、死んだ後のことについて考え、命の与え主である神様御自身について、否応なく考えさせられるのではないでしょうか。病の中で、私達は神様の前に謙ることを覚えます。病は、私達が神様に真実に立ち帰り、関係を回復され、神様からの真の癒しを頂くように、導きます。そしてイエス・キリストに、触れた者は皆癒されたのです。

ところで、聖書は、癒しには犠牲が伴っていると教えています。イザヤ書53章には、このような御言葉があります。

「彼が担ったのは、わたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、わたしたちは思っていた、神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」

神の御子、イエス・キリストは、御自分の身に私達の病を引き受けて、私達を癒されるのです。

そして、実に、病だけでなく、私達の罪を引き受けて、私達を救われるのです。神の御子は、私達の罪のための裁きと罰を、御自身の身に引き受けて、十字架に死んで下さったのです。完全な罪の無い、神の御子御自身が、罪を償う犠牲となるという仕方で、私達を救って下さったのです。

ここに、独り子さえ、惜しまずに、私達のために与えてくださった、父なる神様の愛が示されています。主イエス・キリストだけが、私達と父なる神様の間を取り持って、平和を与え、永遠の命に至らせることのできる御方です。貴方が、このイエス・キリストを信じられることを、心から願い、祈ります。

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