マリリン・ロビンソンの眼差し

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聖書の言葉

そのとき、夜明けの星はこぞって喜び歌い、神の子らは皆、喜びの声をあげた。

旧約聖書 ヨブ記 38章7節

宇野元によるメッセージ

小説の題名は『ギレアド』。アメリカの田舎の小さな町を舞台とするこの作品は、私たちの世界が美しさにあふれていることを教えてくれます。

たとえばこんな場面。主人公のエイムズ牧師は、息子への手紙を書きながら、ふと、数年まえの出来事を思いだします。こんな風に記しています。

ぼくは教会にゆく途中だった。ぼくのすこしまえに、散歩している若いカップルがいた。大雨のあと、強い日の光が差し、たっぷり濡れた木々がきらめいていた。なんの心のはずみか、単純に幸せいっぱいだったんだろう、男の子が飛び上がって枝の一つを掴んだ。するとふたりの頭のうえに輝く滝がおちた。彼らは歓声をあげ、走って逃げた。

私たち人間は、まぶしい輝きの中にある。本人の自覚のあるなしにかかわらず。エイムズ牧師の慈しみをこめた眼差しに、作者自身の眼差しが重なります。

前にすこし触れたことですが、ロビンソンは、いわば聖書を片手に創作する作家です。そして創作のための豊かな栄養を、キリスト教神学との対話から汲みあげています。

神学と関わる作家には、カール・バルトから深い影響を受けたジョン・アップダイクが思い浮かびます。ロビンソンの場合は、神学者であると言うのがふさわしいでしょう。専門家そこのけの彼女が、カルヴァンについて、その魅力をこんなふうに表現しています。

「カルヴァンは、私たちの人生の経験をこう考えている。それは新鮮で興味深く、イメージ豊かで、しかも知的な展望を示し与えてくれる。」

神が世界を作ったのであれば、神は作者としてのサインを記すだろう。神様のサイン、それは、この世界の美しさであると、ロビンソンは語ります。

私たちは、憩いなく過ぎゆく存在、そして滅び去る存在ではありません。私たちの毎日は美しさに囲まれている。そして、私たちもきらめきが与えられている。私たちの自己評価を超えて。むしろ、私たちがそれと意識しないでおりますとき、私たちはまるで神話の人物のような美しさを放射している。このことに思いいたすようみちびかれます。私たちは作り主のサインが記されている存在である。

もう一箇所、お読みいたしましょう。

ぼくは大草原が大好きだ。何回となく日の出を見た。暁の光が射し初め、たちまちあたり一帯を照らす。すべてのものがいっせいに輝きだす。そのたびに、「よい」という言葉に深くうなずく思いがした。このような出来事に立ち会えるのは驚きだよ。もっとすばらしい、最初の一瞬が存在しただろう。「そのとき、夜明けの星はこぞって喜び歌い、神の子らは皆、喜びの声をあげた。」ぼくはこれと矛盾する状況をたくさん見てきたが、それにもかかわらず、世界はいまも歌い、喜びの声をあげている。そうするじゅうぶんな理由がある。

災害があり、戦争があり、病気があります。今、困難な感染症の流行があります。『私たちの世界は、ひどく痛んでいる。あるいは、もう回復できないほどだろうか?』そんな、出口のない思いに誘われる私たちに、毎日、神様のサインが示されます。自分の部屋でも。台所でも。窓際のコップや鍋が朝日に輝くとき。

このサインに心を向けるなら、私たちは確かさを与えられます。困難な時も、きょうという一日を勇気をもって生きることができます。

さらに。聖書はこう語っています。

いま認められる美しさに加えて、さらに素晴らしい、最初の時が存在した。世界と私たちに対して「よい」という神の言葉が与えられている。「夜明けの星が歓声をあげた」。それが私たちの歩みの最初に与えられている。よい出発点が与えられている。この幸いな事実が、よい未来を約束し、今の私たちの歩みを支えている。

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