神の子とされる恵み

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聖書の言葉

事実、人を聖なる者となさる方も、聖なる者とされる人たちも、すべて一つの源から出ているのです。

新約聖書 ヘブライ人への手紙 2章11節

宮武輝彦によるメッセージ

先日、インターネット上のニュースを見ておりましたら、「京都市民が『長男の京大進学』を喜ばない事情」という国際日本文化研究センター教授の井上章一さんとフランス文学者の鹿島茂さんの対談の記事が目にとまりました。

その中で、井上さんが、「京都では、創業寛永何年とか創業元禄何年とか、店の看板に結構書いてあります。歴史の由緒を誇るようなプライドの持ちようは、パリの商人にはないんですか」と、鹿島さんにたずねておられます。すると鹿島さんは、こう答えておられます。「老舗というのは、むしろ直系家族のいる地方に多い。南仏(フランス)やドイツ国境には、直系家族の同族企業がかなりあります。」さらに、井上さんがこう言っておられます。「実を言うと、京都大学の学生に、あんまり京都市民がいないんですよ。多分1割もいないと思います。ましてや、創業寛永何年とかいうような長男は、数えるほどしかしない。でも、皆無じゃありません。いくらかはいるんですよ。それがね、みんなおしなべて言うんです。『京大(に)、入れてよかった。これで親父は、俺のことをあきらめてくれる』って。つまり、入れなかったら跡継ぎにさせられるんですよ。ところが、京都大学の、たとえば大学院まで行くと、これが(いわば)『合法的な家出のコース』になるんです。」わたし自身、この記事を読んで考えさせられたことは、それが事実であるなら、家業を継ぐことの重さとそれを望まない子たちの悩みです。また、親からすれば、伝統的な家業を継ぐことがなにかのことでできないとき、それをどのようにして継いでいくのか、も切実な課題として残ることでしょう。

ところで、聖書の歴史は、いわば、天地の父である神の家業と言える、救いの業を受け継ぐ者とされた者たちの物語です。冒頭の言葉、「事実、人を聖なる者となさる方も、聖なる者とされる人たちも、すべて一つの源から出ている」との、「すべて一つの源」とは、「神」であり、この神において、一つの家族であると教えられています。じっさい、キリスト教会では、イエス・キリストを長子とする「兄弟」「姉妹」とお互いに呼びあいます。それではどうして、人間は「聖なる者」とされる必要があるのでしょうか。人間は、神のかたちにかたどって造られたものであり、神の祝福を受け継ぐ者として造られました。しかし、最初の人間、アダムが神に背いたために、全人類は堕落しました。アダムの子孫、つまり、全人類は、罪の性質、原罪を負っているのです。それがために、人間が、神の祝福を受け継ぐためには、罪とその汚れを清められなければならないのです。この「人を聖なる者となさる方」こそ、神の家族の長子・長兄となられた、イエス・キリストです。それは、永遠の神の御子でありながら、それに固執することなく、まことの人間になられ、十字架の死において、唯一完全な犠牲となられたことによります。罪人(つみびと)が、イエス・キリストによって、「神の家族」の一人とされ、「神の子」とされる恵みについて、新約聖書ローマの信徒への手紙8章14節以下でこのように教えられています。

「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです。この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを証ししてくださいます。もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。」このように、罪人(つみびと)が、罪をゆるされ、聖なる者とされるために、神の霊は、イエス・キリストが、ただ一度、十字架の上でささげられた犠牲を罪の代償として命の祝福を受け継がせてくださるのです。さらに、神の霊は、わたしたちは、神の子としてくださるだけなく、独り子イエス・キリストを遣わしてくださった神を父と呼び、この神様と直接応答する関係を与えてくださいます。この神への応答こそが、キリスト信仰による「祈り」です。

バジレア・シュリンク姉妹は、第二次世界大戦のさなか、ドイツでヒトラーのナチス政権時代に告白教会のメンバーとして、勇気をもってキリストを宣言した人の一人です。戦後まもなく、1947年、マリヤ福音姉妹会を創設し、一生を祈りと執筆にささげました。おわりに、バジレア・シュリンク姉妹の祈りの本、『神との語らいさまざまな状況においてにどう祈るか』という小さな書物の中から、「試練の時の祈り」と「信頼の祈り」の2つの主題に、心を向けて、神さまへの祈りに導かれたいと思います。

「天のお父様、どうか、わたしがあなたを信頼する、へりくだった心で、今、また将来に待ち受けているかもしれない、苦しみや困難を受け入れることができるように助けてください。苦難を乗り越えさせるのは、絶望ではなく、あなたへの信頼であることに心を留めさせてください。」

「天の父よ、あなたの心はただ慈しみそのものであり、わたしの悩みを最善へと導いてくださることを感謝します。あなたはまさに、あなたの子をいつも恵み、助けてくださいます。」

「天の父よ、あなたは真の父であられますから、あなたの子が悲しむのを見ることに耐えられません。むしろ、慰めと助けを与えてくださいます。ですから、あなたに感謝をささげます。」「アーメン」。

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