信仰と音楽

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聖書の言葉

イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」

新約聖書 使徒言行録 1章10~11節

赤石純也によるメッセージ

バッハはこの聖書の文章を歌にしました。それがどんな感じの歌になっているか、まず聞いていただきたいと思いますが、この聖書の言葉の前半、つまり「イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、言った」という地の文をまず一人の人が節をつけて歌います。そして後半の「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有り様で、またおいでになる」という二人の人のセリフは、実際に二人の人が、声を合わせたり、ずらしたりしながら歌っているのがお聞きいただけると思います。それではどうぞ。

♪音楽♪

何か非常に喜ばしい調子の歌になっていますね。この聖書の文章を、どうしてバッハはこんな楽しそうな歌にしたのか。イエス・キリストが天に上げられたという聖書のこの言葉を、バッハはどう考えているのでしょうか。この聖書の言葉を歌った後に、バッハが付け加えた歌を聞くと、それがよくわかるのですね。この聖書の言葉の後にバッハは、若い女性の声が歌う歌を付け加えました。それがどんな風に始まるか、最初のところだけをお聞きください。

♪音楽♪

こんなに楽しそうにバッハは、イエス・キリストが天に上げられたという聖書の言葉の後に、歌を付け足したのですね。このうれしそうな歌がどんなことを歌っているのかというと、こういう歌詞なのです。「イエスよ、あなたの天からの眼差しを私はいつも感じています。あなたの愛は私の目を上へと向けさせて、未来へと向けさせて、私が歩み出せるようにしてくださる。そのことを思うだけでもう、私の心はリフレッシュしている。」こういう歌です。バッハは天に上げられたキリストが、深い愛の眼差しで私を見ていてくださる、こういう感覚をもっているのです。そのキリストの方に向かって、バッハは天のキリストに目を向けて、歩みだしていきます。バッハの目は、いわば、上前方を見ています。天に上げられてゆくキリストを目で追って、バッハの目は自然に上に向けられていくのですね。今まで地面を見ていた目が、上へと上げられます。そのとき足は歩みだすことができるのですね。

思い描いてください。下を見て、うつむいてしまっているバッハがいます。足は進みません。立ち尽くしてうつむくだけです。どうしたら生きていくことができるのか。そのときバッハは聖書を開きます。キリストの姿をたどります。キリストは天に上げられていきます。キリストを見るバッハの目は、キリストに引き上げられるようにして、上へと向けられます。目が上を向いたときに、足は自然に歩みだす。その足取りが、この歌のテンポになっています。

キリストを追って、聖書の言葉をひとつひとつ追っていくときに、私たちの目はすこしずつ上前方へと引き上げられます。いろいろな問題のある今という時の中で、上前方を見て歩んでいくことができるようにされます。そのときに、今という時の中で疲れてしまっていたはずの私の心が、もうすでにリフレッシュされている。イエス・キリストに目を向けるときに、今日という一日を、明日という一日を、生き生きと生きていくことができる。このことこそ、天に上げられたキリストからくる、神の恵みの力なのだ、それを知ったときに、私たちにどんな足取りが生まれてくるのか、バッハの歌を聞きながら、ご一緒に味わいましょう。

♪音楽(残念ながら、途中で切れています)♪

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