神様とのキズナ

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聖書の言葉

神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。

新約聖書 ヨハネの手紙一 4章9,10節

保田広輝によるメッセージ

おはようございます。私は板宿教会に通っている保田広輝と言います。私は難病で、大きな車椅子を使っていまして、ラジオの収録をしているスタジオに行けないですし、あと呼吸ができないので、人工呼吸器を使って生活していまして、自宅で上手く録音ができないので、メッセージの代読をお願いしています。

【ヨハネによる福音書1章1節】

「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。」

この「初めに言があった」は、「天地創造の初めに愛があった」と言い換えることができると思います。いくら愛があっても、それを相手に伝えなければ、伝わりません。神様は天地万物をお造りになりました。じゃあ、なぜ造られたのでしょうか。それは、神様が愛だからです。神様は、ご自分の愛を表したいから、私たち人間を神様の言葉によって創造して、まず天地創造の初めに、私たちに語りかけられたのです。

神様の言葉は、愛です。その神様が、み言葉によって私たち人間を創造して、天地創造の初めから、私たちに語りかけておられるのです。では、神様はどのようにして、私たち人間に「神の愛」をハッキリと表わされたのでしょうか。神様のみ子イエス・キリストを、この世に遣わしてくださることによって、です。聖書において、神様は、私たちへの愛を証明したい時はいつでも、イエス・キリストの十字架に目を向けられます。

【ヨハネの手紙一 4章9~10節】

「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」

イエス様は「神のことば」そのものです。「神の愛」を表す最高の言葉・み業として、イエス・キリストは十字架にかけられたのです。イエス様の姿から、十字架から、「あなたを永遠に愛している」という神様の言葉があふれ出ます。イエス様が徹底して語りかけて、そして十字架で命すら捨てて、私たち人間への愛を示し、「神はあなたたちを愛している」という真理を語ってくださったのです。私たち人間は、このイエス様を信じることによって、神様の永遠の愛にあずかることができます。

そして、【新改訳聖書 イザヤ書 64章8節】には、このようなみ言葉があります。

「しかし、主よ。今、あなたは私たちの父です。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの手で造られたものです。」

陶器師は土をよく練って、自分が造りたいと思う器を造ります。練る土は同じですが、陶器師の思いと必要に応じて、あるものは大きく、あるものは小さく、あるものは特別な器として、あるものは普通に使われる容器として、いろいろな器を造ります。

それなら私たちは、陶器師の神様が自分勝手に造る道具のようなものでしょうか。多くの人たちが「神の主権は人間の意志を無視するのではないか?」と疑問に思います。しかし、安心してください。私たちの陶器師であられる神様は、失敗のない御方です。神様は、私たちを自分勝手に造る陶器師ではなく、必要な尊い存在として造る陶器師なのです。私たちひとりひとりを一番美しく造られます。

そして、神様の主権は、イエス様を信じる人に乗り越えられない試練を与えません。神様の愛は、束縛しません。神様は私たちの人生を初めから終わりまでご存知だからこそ、私たちは安心して神様に信頼し続けることができるのだと思います。たとえ、自分から見て失敗や挫折がたくさんあったとしても、その失敗も挫折も、神様のご計画に含まれているのです。キリストを信じていく中で、自分の人生の意味を知るのです。

ちなみに、私はいま29歳ですが、生まれた時から、平均寿命が35歳のデュシェンヌ型筋ジストロフィーという治療法のない難病を抱えています。あと、呼吸することができないので、24時間ずっと人工呼吸器を使って生活しています。私は今までの人生の中で、難病の試練、死にかけた経験、小学校時代の集団いじめ、急激な病気の悪化による大学受験の失敗、などを味わってきました。でも、私の失敗や挫折も、神様のご計画だったんだ、と今は思えます。私がキリストにあって、神様の子どもとして生まれ変わるために、神様から与えられた使命のために、神様がこのような難病をプレゼントしてくれた、と感じています。だから、私にとって難病は恵みの試練なんですね。

苦しみとは、神様に委ねるための「痛み」なのだと思います。なぜなら、人間は神様に委ねるまでは安らぐことはないからです。私の命は私のものではなく、神様のものですから、神様のみ心に従うならば、自分にとって、最も良い人生を歩むことができるんですよね。

神様は、難病を含めた、この私を愛するために、私を創造してくださり、私の人生を計画してくださいました。だから、私が難病の人生を生きていくことで、神様のご計画が実現されていくのです。私は、自分の苦しみだけを見るのではなくて、神様のご計画の実現という広い視点から自分の苦しみを捉えたら、生きる力が湧いてくるようになりました。

神様が、この私を望んでくださったから、他に何もいりません。神様とのつながりさえあれば、どんな不安があっても、いつも神様の恵みの中で、安心して生きていけます。私はこれからもキリストにあって、すべての人生の出来事を受け止めて、神様のみ心に従っていきたいです。

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