思い直す神

キリストへの時間のトップページへ戻る

聖書の言葉

神は彼らの業、彼らが悪の道を離れたことを御覧になり、思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられた。

旧約聖書 ヨナ書 3章10節

望月信によるメッセージ

旧約のヨナ書の御言葉に、ご一緒に耳を傾けます。ヨナ書は、子ども向けの聖書絵本などでよく親しまれていると思います。それは、ヨナ書そのものが、アミタイの子ヨナに起こった出来事を劇やドラマのような仕方で物語っている書物だからでしょう。旧約の神の民において、ドキドキわくわくしながら楽しむことができる物語として、親しまれてきたのだと思います。

ヨナは、アッシリア帝国の都ニネベに行って神の言葉を告げるよう、主なる神に命じられました。イスラエルの民であるヨナにとって、アッシリアのニネベは敵対する国の都です。そんなところになど行きたくないと思ったヨナは、ニネベとは反対方向に逃げることにしました。港に行くとタルシシュに向かう船があったので、それに乗り込んで、主なる神の手から逃れようといたします。そのヨナを追い求めて、主の御手が伸ばされます。海が大荒れになり、ヨナが乗った船は嵐のために沈むか砕けるかと思われるほどになりました。そして、神の命令を拒んで逃げ出してきたことが発覚して、ヨナは海に放り込まれました。そのヨナを、主なる神は大きな魚に命じて呑み込ませます。ヨナは、三日三晩、魚のおなかの中にいて、自らの愚かさを悔いて神の御前に立ち帰ることへと導かれました。そうして、魚がヨナを陸地に吐き出したところで、今日、お話しするヨナ書3章となります。

ヨナ書3章は、「主の言葉が再びヨナに臨んだ。『さあ、大いなる都ニネベに行って、わたしがお前に語る言葉を告げよ』」と言って始まります。主なる神は再びヨナをニネベに遣わします。ニネベに神の言葉を告げるという神の御計画は、決して変わらないのです。

今度は、ヨナは主の命令を拒むことなく、従順にニネベに向かいます。しかし、神は憐れみ深いお方です。ヨナに命じられたことは、神の言葉を告げることであり、「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる」というものでした。不思議なことですが、神の愛を知らせよとか、神に立ち帰るように勧めよと命じられたのではないのです。そう命じられたなら、ニネベを愛する気持ちなどないヨナにとって酷なことだったでしょう。その意味では、神の裁きを告げ、滅びを告げることだから、従うことができたのかもしれません。そして、さらにたいへん不思議なことですが、その裁きを告げる言葉、滅びを告げる言葉が用いられて、ニネベは町中が悔い改めて悪から離れ、神の御前に立ち帰るものとされました。王さえも王位を脱ぎ捨て、粗布をまとって悔い改めを表しました。ここには、神の御言葉の不思議な力、大きな力が示されています。たとえ裁きを告げ、滅びを告げるものであっても、神の御言葉には、人を悔い改めに至らせ、人を神の御前に立ち帰らせる力があります。神の御言葉、そしてそこに働く神ご自身が、人を悔い改めに導き、人を造り変えるのです。

ヨナ書は、こうして、主なる神が「思い直された」と書き留めます。ニネベを滅ぼすことを思い直された、と言うのです。「思い直す」と言うならば、神は変わってしまうお方である、そして神の御計画も変わることがあるということではないかと、思われるかもしれません。けれども、神は変わらないお方、変わることがないお方であるとは、真実です。それは、人を愛し、罪人を憐れむお方であるということにおいて、変わることがないのです。人を愛し、罪人を憐れむ。それゆえに、神はヨナを追い求めました。そして、このとき、ニネベの人びとをも愛して、思い直されたのです。

主なる神は、私たちのことも変わることなく愛して憐れまれます。神から離れて生きている私たちが神の御前に立ち帰るとき、私たちを滅ぼすことを喜んで思い直してくださいます。そのためにこそ、尊い独り子イエス・キリストを私たちに与えてくださいました。私たちを愛してご自分のものとする御計画を変えることがない神、そしてそのためには、滅ぼすことを喜んで思い直される神、このお方が、まことの神であられます。この神が、今もこの放送をお聞きの皆様と共におられます。

関連する番組