クリスマスはからし種のよう

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聖書の言葉

更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。」

新約聖書 マルコによる福音書 4章30,31節

宇野元によるメッセージ

イエス・キリストは、神の国を、からし種の成長にたとえています。「神の子が世に来られた」。聖書が語るクリスマスを、このたとえと共に思いめぐらすことができます。

私たちの思いを超える顧みが、イエス・キリストにおいて証されています。神の子イエス・キリストが、私たちと同じ一人の人間となり、私たちのあらゆる苦難に耐え、勝利したことによって。ところで、福音書が強調していることがあります。「神の御子が来た」。この出来事は、私たちが想像するのとちがって、とても小さなもの、ひそやかな、人目にとまらないものでした。世界の中心のように思える所ではなく、周辺の、小さな国の、小さな町の、それも、片隅のような場所での誕生。そして、非常に貧しい環境での出来事でした。

さらに、神の子の誕生に駆けつけた、無名の人たち。町の周辺で暮らし、夜のあいだ、羊の世話をしていた羊飼いたち。よそから来て、宿屋に泊まれなかったカップル。暗い、せまい場所で、小さなイエスのかたわらにいたマリアとヨセフ。

その場に立ち会った人々はみんな、困窮のなかに生きていました。クリスマスは、私たち人間に救い主が与えられていることを知らせるニュースです。「暗闇の中に光が輝いている」と告げる出来事です。私たちの世界に贈られている大きな喜びの出来事です。「ほんとうだろうか?」、そんな問いが、私たちの胸の中に浮かんできます。「一体その出来事は、どこに与えられているのか? 」「この世界のどこにあるのか?」そんな私たちの心の問いに対して、なんと答えることができるのか?

イエス・キリストの誕生を囲んだ人々、彼らと私たちが、どのくらい重なるか分かりませんが、私たちも困窮をかかえている存在です。いかり。憎しみ。暴力。苦しむ幼い命。傷つき痛む若い命。その数はどれほどでしょう。悩む親たち、悲しむ親たちの数はどれほどでしょう。貧困。挫折。小さな、せまい片隅にあること。災害。事故。親しい人との別れ。一人で生きる不安。現在の恐れ。病気。将来への不安。眠れない夜。

からし種のたとえを心にとめましょう。「小さいが、成長して どんな野菜よりも大きくなる」。鉛筆を削るのに、ナイフで削ったことがありますか?鉛筆の芯が、粉のかけらになりますね。からし種は、そのようなものです。種とも言えないよう。小さくて、見ばえのしない。なんの変哲もないようです。けれども 成長して ほかの野菜よりも大きくなります。

自然から少し遠い、現代人にも、よくわかることがあります。植物や、花を育てていると、命の不思議に触れることができますね。枯れているのかと思う。そんなところから芽が伸びてきます。どうしてそうなるのか、とても不思議です。いつ花はひらいたのか。ふと振り向くと、つぼみがひらいていて、きれいな花がこちらに顔を向けています。とても神秘的です。そして ワクワクします。からし種は小さいが、成長し、その葉の陰には、豊かな安らぎの場所が与えられる。よろこぶ心、ワクワクする心、望み豊かな心によって、そう語られています。

当時の世界は、暗い闇の中にありました。2019年の今の世界は、それと比べてどれだけちがっているでしょう?きっと同じような暗さの中にあるでしょう。そしてたしかに、この場所に――そんな私たちの世界に、私たちの住まいに、私たちの真ん中に、ひそやかなクリスマスツリーが植えられています。いつも私たちと共にあり、共に雨風に耐え、苦難に耐えて、大きな枝を張る木、緑の葉がよく茂って、私たちを憩わせてくれる木が。人目を集めるどんなことよりも幸いな、豊かな事実が私たちに与えられています。神の子と共にある事実が。

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