あなたはアンミ、我が民

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聖書の言葉

あなたたちは兄弟に向かって「アンミ(我が民)」と言え。あなたたちは姉妹に向かって「ルハマ(憐れまれる者)」と言え。

旧約聖書 ホセア書 2章3節

禰津省一によるメッセージ

みなさまお元気でお過ごしですか。神様の守りと導きが豊かにありますようお祈りします。今朝は、旧約聖書の預言書の中からホセア書という書物を取り上げます。

旧約聖書の終わりのほうには、合わせて17巻の預言書が収められています。イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書、ダニエル書という有名な四大預言書に続いて12の小さな預言書があります。その最初の書がホセア書です。

私はこのホセア書を始めて読みました時、ちょっと驚いたのであります。なぜなら、聖書、聖なる書物にはあまりふさわしくないような言葉から始まっていたからです。「主は、ホセアに言われた。「行け、淫行の女をめとり、淫行による子らを受け入れよ」」。ホセア書1章2節の御言葉です。

淫行の女、言い換えますと性的に乱れた女性とあえて結婚せよと言うのです。預言者ホセアは言われたとおりにゴメルという女性と結婚し、そして3人の子をもうけます。神様は、その子どもたちにイズレエル、ロ・ルハマ、ロ・アンミと名づけるように命じます。実は、その名前自体が、預言者が伝えるべきメッセージになっているのです。

キリスト教会で福音を伝える伝道者は、神様の言葉をただ口先で伝えるだけでなく、その人自身が本当に信じていることを語ります。そうであってこそ、語られるメッセージは世の人々の心に届く言葉になることでしょう。さらに言えば、伝道者だけでなく神様の言葉によって立てられた教会がこの世界に確かに存在しているということ、そこに生きている人々が、今まさに救いの喜びを味わっていること自体が、神様が人々を救ってくださる恵み深いお方であることをあらわしています。

預言者ホセアは、口で語るだけでなく彼自身の存在そのもの、人生の全体を通して神様の言葉を伝えるように命じられました。

イズレエルは、イスラエルの王による血なまぐさい出来事がかつて行われた場所です。神はその罪を王に必ず問うというのです。ロ・ルハマは憐れまれない者、ロ・アンミはわが民ではない者という言葉です。神様はあなた方を憐れまれない、もはやご自身の民とはされないというのです。この時、国は乱れ、不道徳と搾取、殺戮が横行していました。

私は牧師をしていますが、あるときこんな言葉を投げかけられました。「この世界には、悲しいことや苦しいことがたくさんあるし、間違ったことがまかり通っている。本当に神様がおられるのか疑問に思う。」確かにそうかもしれません。けれども、実は間違ったことをしているのは人間の方なのではないかと思うのです。神様は、人をおつくりになった時に人を祝福し、人格と自由を与えられました。人は、その自由を神様に従うためではなく、自分自身の欲望実現のために用いるようになったのです。神様はその人間を救いたいと願っておられるのです。

預言者ホセアが、彼自身の身をもって語るように命じられたことは、何でしょうか。民の罪をお怒りになる神様は、民を心から愛しているということです。そして今こそ悔い改めて神に立ち帰るようにとホセアは人々に告げるのです。ホセア書11章8節にはこう書かれています。「ああエフライムよ、お前を見捨てることが出来ようか。イスラエルよ、お前を引き渡すことが出来ようか。アドマのようにお前を見捨て、ツェボイムのようにすることが出来ようか。わたしは激しく心を動かされ、憐みに胸を焼かれる」

アドマとツェボイムは、神様の怒りによってソドムとゴモラと共に滅ぼされた町の名です。

わたしは、ホセア書を読むたびに主イエス様の十字架のことを思い出します。旧約聖書では、神様は人の罪の赦しのために動物を犠牲としてささげることを求めました。シミも傷もない小羊をささげることをイスラエルに命じられました。神の民の特権として、神殿儀式による赦しの道が与えられたのです。新約聖書は、主イエス様こそ、まことの神の小羊であり、ただ一度だけの真の犠牲であることを告げます。罪の赦しのためにわたしたちに命を与えて下さるお方だと告げています。十字架の上に、神であり、神の独り子である主イエス様の命がささげられました。神は独り子をお与えになるほどに罪の世を愛されたのです。主イエス様は、特定の民族だけでなく、信じる者すべてに与えられる赦しと愛への道です。憐みに心を焼かれる神様の愛がここにあります。

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