神に信頼すること

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聖書の言葉

民よ、どのような時にも神に信頼し、御前に心を注ぎ出せ。神はわたしたちの避けどころ。

旧約聖書 詩編 62編9節

保田広輝によるメッセージ

アメリカで2006年に公開された「フェイシング・ザ・ジャイアント」というキリスト教の映画があります。ミッションスクールのアメリカン・フットボール部の成長物語です。

一度も試合に勝ったことがない万年最下位の弱小チームのコーチである主人公は、日々熱意を持って指導していましたが、部員たちは弱気で、いつも集中力に欠けていて、授業の成績が悪く居残りさせられる部員もいる中で、成果が上がらず思い悩む日々を過ごしていました。小さな不幸が立て続けに起こったり、部員の保護者からはコーチを回顧しようとされたり、子どもが産まれない原因が主人公自身にあると医者から告げられたり、と、全てが悪い方向に向かい、人生に対する希望を失いかけていた主人公が、あるクリスチャンの助言をきっかけにして、悔い改め、み言葉に基づいた祈りの生活を始めることにより、自分だけでなく、周りも変えられていきます。

そして、主人公は新しいチームの指針を作ります。「聖書の教えに従うこと、全て神さまの栄光のために生きること」という明確な方針を部員に示します。それだけでなく、まず自分が模範となりながら、部員たちの生活の指導も始めていきます。そうして、ひとりひとりの部員が、持っているものを全力で神さまのために使いながら、自分の置かれた場所でキリストの弟子に造り変えられていく、という映画です。

この映画に、このような台詞が出てきます。「勝敗は小さなこと・・・神さまをあがめるため、我々はここにいる・・・人生で最も大事なのは、神さまを愛し、他者を愛すること。全勝しても、それができないなら無だ・・・キリストは人のために死に、人はキリストのために生きる・・・プレーだけではなく、人間関係や目上の人への敬意で神さまをたたえよう。教室でもネットを使う時でもだ。このチームで神さまのみ業を示そう。常に全力を尽くせ。勝って神さまをたたえ、負けても神さまをたたえる。どちらでも、態度で神さまをあがめよう。私は全力で神さまを敬い、結果はお任せする」

私はこの映画から、「たとえそうでなくても」の信仰、どんな試練の時も、たとえ勝負に負けても、人生に挫折したとしても、神さまから与えられている人生を感謝し、神様を賛美して、神さまを愛することの大切さを学びました。これが神さまを信頼することなのだと思います。私は生まれた時からデュシェンヌ型筋ジストロフィーという治療法のない難病を抱えていますし、呼吸ができないので、24時間ずっと人工呼吸器を使って生活していますが、私たちが試練に遭うとき、病気になったとき、生きる希望がなくなってしまったとき、神さまはいるのだろうか、神さまは私の祈りを聞いているのだろうか、と苦悩しますよね。

私たちの信仰生活を脅かすものは失望だと思います。「あぁ、今日も神さまは祈りを叶えてくれなかった」、「まだ神さまはこの苦しみから解放してくれないのか」と落ち込む、そのような失望です。失望というのは長引くものです。ですから、失望と向き合うことが大切です。失望と向き合うためにすることは、まず自分の願いや悩みを包み隠さずにさらけ出して、神さまに自分の心をすべて注ぎ出すことです。その後に手放す自由が与えられます。心を注ぎ出すことなしに、自分の願いや悩みを手放して、「御心がなりますように」と神さまにゆだねることはできないと思います。

多くの人たちは、苦しみに対して誤った態度を取ります。苦しみを受け入れないで、向き合おうとしない。しかし、クリスチャンにとって苦しみは、産みの苦しみです。苦しみを受け入れて初めて、産みの苦しみとなります。私たちは、たとえ神さまがくださる良いものであっても、自分の願い通りのものでなければ、受け取ることを拒否してしまいます。

確かに苦しみは味わいたくないものですが、み言葉に支えられながら、お祈りして、苦しみを忍耐していく中で、「私の人生はこうでなくてはいけない!」という執着がなくなるとき、私たちは自由にされて、どんな苦しみを抱えていたとしても、神さまが与えておられる自分の人生を感謝できるように変えられていくのだと思います。そうして今まで見えずにいた、神さまがくださる多くの恵みを感じられるようになって、「神さまは決して私たちをお見捨てにはならない。神さまは、私たちに関わるすべてのことに、心を注いでくださる」というような神さまへの信頼が芽生えてきます。

私たちは、思い通りにならない時に忍耐することで謙遜にされて、神さまへの信頼を学びます。そうして、平凡な日常でも感謝する心が生まれてきます。試練を乗り越えた時はもちろん、平凡な日常でも感謝することで、神さまへの信頼はますます深められていくのだと思います。

信仰とは、何かの行いではなく、神さまに対する信頼です。祈りが叶えられたから、自分が幸せだから、信頼が生まれるのではなく、神さまへの信頼は試練の中でこそ生まれるのです。死のような試練の絶望の中でも、キリストの力が私を生き返らせてくださるのです。

※音声ファイルをきかれる場合、少し雑音が気になるかもしれませんが、ご了承ください。

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