聖書の世界観

キリストへの時間のトップページへ戻る

聖書の言葉

初めに、神は天地を創造された。

旧約聖書 創世記 1章1節

韓相眞によるメッセージ

創世記1章1節を朗読いたします。「初めに、神は天地を創造された。」

創世記はモーセという人が書きました。正確に言うと、神様がモーセに、神様の霊である聖霊の霊感を与えて、神の御言葉を書いた、ということです。モーセはイスラエルの民をエジプトから導き出しました。エジプトで奴隷生活をしていた彼らを救い出したのです。最終目的地はカナンの地でした。モーセは、イスラエルの民がカナンの地に入る前、モアブの平地で、この創世記を書きます。イスラエルの民に教訓を与えて教えるためでした。これからイスラエルの民が入るカナンの地には、既に住んでいる居住民がいました。カナンの人たちは多くの偶像と、イスラエルの民たちとは全く異なる世界観を持っていました。違う価値観です。これを見て、心配になったモーセは、死ぬ前に、この創世記を始めモーセ五書と呼ばれる申命記までの5つの本を書きました。イスラエルの民に、信仰の世界観をたてるためでした。そして、その中の1つ目の本!創世記の最初の節はこう始まります。

「初めに、神は天地を創造された。」

これは全く異なる世界観です。カナンの居住民が持つ世界観とは全く異なります。

世界観!!という言葉を聞いたことがあるでしょうか。人間には「世界観」というものがあります。この世界観によってその人の価値観が決まります。世界観は英語でワールドビュー(World view)です。世界を見るビューアー、型という意味です。このビューアー、この型が四角形の人は、全てが四角に見えます。星型の人は、星に見えます。世界観はとても主観的なもので、これは私たちの経験を通して形成されて行きます。

ある女性の大学生が誰かに傷つけられました。その傷つけた人は逆三角形の形をした顔でした。 卒業後、会社に行くと、そこには、別の逆三角形の形をした顔の人がいました。

この女性は、その逆三角形の顔をした人がすご~く、嫌いになります。理由もなく、何となく嫌いになります。この女性には、逆三角形の顔の人はダメな人!!という世界観が形成され、その世界観、その型で見てしまったのです。

私たちはみんな、このような色んな世界観という窓、型を持っています。これで全てを見て判断します。

問題は、私たちが聖書を読む時にも、このようなそれぞれの世界観という型をもって見てしまうということです。私たちが持っている世界観は、個人的で主観的なものです。客観的ではありません。この世には、完全に客観的な世界観は存在しません。これが問題です!!私たちが持っている、このような主観的な世界観を破る時、私たちは聖書の力を経験することができます。

カナダにある湖があります。ある旅人がその湖を通り過ぎる時、興味深い光景を目にしました。ある老人が釣りをしていました。ところが、すごく大きな魚を釣ったら湖に戻して、掌ぐらいの大きさの小さい魚を釣ったら、自分の網に入れるのです。気になって旅人は老人に聞きました。「どうして大きい魚は放し、小さい魚だけ持っていくのですか?」

これに対して老人曰く、「いやー、うちのフライパンのサイズが25センチだから、それより大きな魚はいらないんだよ。」

ひょっとしたら、私たちはこのような、フライパンのようなものを、一つずつ持っているかもしれません。これがその人の世界観、または価値観と言えます。私たちはみんな、自分だけの世界観を通して世界を見ます。また判断します。これは、人によってサイズや形が違います。しかし、問題はこの世界観というのは主観的で、制限されていることです。だから、自分だけの世界観の窓、その型を通して世界を見て、その型に入らないものは拒否します。絶対に入れようとしません。全部捨ててしまいます。自己中心的になってしまうのです。これは私たちの信仰生活にも影響を及ぼします。だから、神の御言葉を読む時にも、自分だけの型、自分の経験、そのフライパンに納まるものだけ持ち、それより大きいものは全部捨ててしまいます。

ところが、神の御言葉は、宇宙万物を創造されたものです。宇宙万物より大きなものです。この御言葉を得るためには、私たちの小さいフライパンを割る必要があります。その時こそ、聖書の御言葉が私たちのものになるのです。これが聖書を読む時の姿勢であり、方法です。

今日の御言葉、創世記1章1節は神様が天地を創造された、と語ります。もしかしたら、これは私たちにとって新しい世界観かもしれません。しかし、今まで私たちが持っていた主観的なものを壊し、聖書が語る新しい観点、世界観を受け入れましょう。

これが、聖書の世界に入る秘訣です。

関連する番組