聖書の世界に入る扉

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聖書の言葉

初めに、神は天地を創造された。

旧約聖書 創世記 1章1節

韓相眞によるメッセージ

創世記1章1節を朗読いたします。「初めに、神は天地を創造された」

聖書は66巻でできています。旧約の創世記から新約の最後の本:ヨハネの黙示録までです。聖書の1ページ目を見ると、創世記が始まります。聖書の一番最初の本、創世記1章1節はこう語ります。

初めに、神は天地を創造された!!

この御言葉が信じられるでしょうか?本当に信じられますか?

創世記1章1節は扉のようなものです。聖書の世界に入る扉です。この扉を開けると、聖書の中に入ります。この御言葉が本当に信じられたら、聖書全体が自然と信じられるようになります。モーセの奇跡、福音書のイエス様、その奇跡、十字架の死と復活!!天国の希望など、聖書全体が自然に受け入れられます。

初めに、神は天地を創造された。これが聖書の世界に入る扉です。入口です。

創造主なる神様を信じますか?と言われた時、この質問には2つの答え方しかありません。1つは聖書が語る通り、神様が天地を創られた、その創造論を信じるという答えと、もう1つは進化してきたという進化論を信じるという答えです。

私は今、創造論も進化論も、両方とも「信じる」という表現を使っています。私たちが思いがちなのは、創造論は「信じること」で、進化論は「科学」だという考え方です。しかし、これは間違っています。もちろん、創造論も信じることが必要ですが、進化論にも信じることが必要です。なぜなら、2つともこの世界の始まりを説明していて、どちらもそもそも科学的な証明が不可能だからです。ただ単に説明しているだけです。

進化論の場合、この主張の証拠も貧弱で、この推論を少しだけ考えてみると、非論理的で非科学的であることがすぐ分かります。聖書が語っているのは、この世界は神様により計画をもって設計されたということです。これに対して進化論は、ただの偶然によって生まれたと主張します。原因は不明ですが、ただ偶然生まれて、偶然進化したと主張します。原因は不明です。これが進化論の推論です。どちらも信じることが必要です。皆さんならどちらを選択するでしょうか?

これに因んだある話があります。

ある日、友達と海岸を歩いていた私は、ちょうど軍事作戦中の潜水艦が海の上に浮かんでいる姿を見て、このように言います。

「あの潜水艦はね、ある研究所で設計して作ったものらしいんだけど、それはとんでもない話だよ。私が詳しく説明してあげるから、よく聞いてね。海の水の中には、鉄の成分があるの。その元素は他の全ての元素より重くて、沈んで行ったんだ。沈んでいくうちに鉄同士が固まってしまい、大きな鉄板になったの。それから、海のいろんな現象で、鉄板のあちこちに穴が空いて、進化作用でネジが差し込まれたの。そして、現代科学では説明することが難しい現象だけど、潜水艦の中にいきなりエンジンができたの。そのエンジンの発生については、これから科学者達が明らかにするだろうね。そして、説明は出来ないけど、急に操縦席ができ、コンピューターやモニターができて、とりあえず、そのような一連の過程を経て、そのように軍事作戦を遂行する潜水艦が、自然に生まれてきたんだよ。」

どうでしょうか。恐らくこの話を聞いていた友達は、私を見て、「こいつ、頭がおかしくなったな」と思うでしょう。

正常的な思考が可能な人なら、潜水艦はたまたま、偶然に生まれてきたという話は絶対に信じないはずです。それなのに、潜水艦より何千倍、何億倍も複雑な構造をしている人間が偶然に、たまたま、生まれてきたと信じることが出来るでしょうか。

どちらを信じておられるでしょうか?人間が、この世界が、この宇宙がある精密な設計によって創られたと信じていますか?それともただ単なる偶然に、説明はつかないけど偶然に生まれ、偶然に進化してきたと信じていますか?どちらでしょうか。

実は、信じるということは平凡で当然のことです。この世界は、信じることによって動かされており、信じないと生きていけません。信じることは自然なことです。私たちは、家が崩れないと信じているから、安心して眠れます。食堂に行くと、食べ物に何を入れているか分からないのに…私たちは料理を作る人を信じて、それを何の疑いもなく、美味しく食べています。バスに乗っても、運転手が安全運転をしてくれると信じるから、安心して乗れます。人間関係も、信頼、信仰、信じることによって成り立ちます。

今日の御言葉、創世記1章1節は、私たちが毎日、日常生活を信頼と信用によって生きているように、自然と信じることを要求します。

初めに、神は天地を創造された!!聖書に入る扉です。この扉はただ一つ、信じることによって開かれます。

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