父親の眼差し

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聖書の言葉

この世で富んでいる人々に命じなさい。高慢にならず、不確かな富に望みを置くのではなく、わたしたちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。

新約聖書 テモテへの手紙一 6章17節

山中恵一によるメッセージ

山中家のリビングは、キッチンと合わせて10畳くらいのスペースなのですが、そこは毎日、3歳の長男と0歳の長女によって、賑やかな場所となっています。家は賃貸マンションで、2LDKの間取りなんですが、一部屋は寝室。もう一部屋は、リビングを広く見せるために、間にあった引き戸を外して、リビングと繋げてあります。その引き戸を外した部屋に私の仕事スペースがあるんですが、子供が生まれると、自分のスペースなんてのはどんどん減る一方ですよね。引越でもしない限り、増えることはまずありません。それでも、親は、子供が家の中で楽しく過ごせるようにと、自分の場所を子供たちに譲り渡すんだと思います。でも、子供のためにスペースだけ作っても、それだけでは不十分です。ウチの夫婦は、お互いにあんまりテレビを見る習慣がなかったので、結婚後しばらく家にテレビを置きませんでした。でも、長男が生まれてから、テレビを購入することにしたんですね。すべては子供の楽しみのためです。わが家の中では、超がつくほどの高級電化製品ですが、そこに映し出されるのは、子供が視る番組ばかりです。私がみたい番組にチャンネルを変えると、息子からクレームが付きます。最近お気に入りの覚えたの言葉で、「ちあう、ちあう」と迫って来るんですね。おかげさまで、この2年、子供が動物番組ばかり視るので、マイナーな動物にも随分と詳しくなりました。自分のお金で買ったんですが、使用権はないんですね。うちのテレビは。それでも不思議と、理不尽には思いません。それは、子供の喜ぶ姿が、親にとっての喜びだからです。

しかしですね、テレビの弊害もあります。息子はテレビが好きになり過ぎて、親の言う事を聞けなくなることがよくあるんですね。妻や私が、子どもが色々なモノに触れて、楽しむことができるように、と、彼を散歩や買い物、公園などに誘うんですが、息子は「ちあう、ちあう」と返して来ます。もったいないですよね?親といっしょにでかければ、もっと楽しいことを経験できるかもしれない。何か買ってもらえるかもしれない。美味しいものを食べるかもしれない。なのに、息子は、もう何十階も見た、動物ドキュメント番組を見ながら、シロサイのモノマネをするのに夢中。すっかり心奪われているわけです。そんな彼の楽しい時間は、妹がリモコンに手を伸ばして、チャンネルが切り替われば、一瞬にして終ってしまいます。わが家でよくある光景なんですけどね。妹がいじったり、わたしが踏んづけたりして、急に番組が切り替わってしまう。すると息子は「あり~?あり~?」と悲しい声をあげてうろたえるんですね。

今、手元にある幸せに縛られて、それを与えてあげた親に心が向かないんです。もっと楽しいことを与えることのできる親と過ごすほうが、旨味のある選択だと言うことがわからないんですね。それで、妹の気まぐれで、あっという間に失われてしまう不安定な楽しさの方を選んでしまうわけです。

今朝、お読みした聖書の箇所にも、同じように、残念な生き方の選択をしている人たちの事が語られていました。「この世で富んでいる人々に命じなさい。高慢にならず、不確かな富に望みを置かないように。」私たちが毎日の中で手にする豊かさとは、すべて、神様が私たちを喜ばせようとして与えてくださるものです。しかし、その豊かさが、自分の幸せのすべてであるかのように生きるなら、それは、わが家の3歳児と同じく残念な生き方だと、聖書は言うんですね。「あなたが、これがすべてだ!と思って執着している豊かさよりも、もっと確かで楽しい人生がある。」聖書にはこうありました。「わたしたちにすべてのものを豊かに与え楽しませてくださる神に望みを置くように」手元の豊かさにしがみつくのではなく、それを与えてくださる神様のもとに自分の幸せな未来があるんだ、と思い描くこと。こっちのほうが、断然おススメです。神様は、今、私たちが手にしている楽しみ以上の楽しみを与えてくださる御方です。私たちが楽しみと思っているものの、一歩も二歩も先を行って、さらなる世界の楽しみ方、人生の楽しみ方を教えてくださいます。

ウチの息子の幸せを一番に考えているのはテレビではありません。私です。そして妻です。子供たちの幸せのためであれば、自分の居場所を譲ってでも、有り金はたいてでも、なんとかしようとするのが親です。ただ、人間の親には限界があります。テレビは買えても、わが家の予算を超えるものは手に入りません。その点、神様はやっぱすごいですよね。神様のもとには無限の豊かさがあります。すべてを与える事ができるのが神様です。また、人間の親は、子供に与えるべきものを間違えることもあります。私なんてしょっちゅうですね。ご飯前にお菓子をあげてしまったり、とがった部分のある危険なおもちゃを買ってしまったり・・・。しかし、神様は、私たちに一番ふさわしい時に、わたしたちに一番ふさわしいモノをあたえてくださいます。神様は、わたしたちのためであれば、なんであれ与えることのできる御方で、かつ、私たちにとって本当に必要なモノを与えてくださる御方です。新年を迎えて、「今年は、アレを手に入れたい!これを手にしたい!」いろいろなリクエストがあると思います。しかし、まずは、何よりも私たちをあの手この手で、喜ばせようとしてくださる神様を求めて頂きたいと思います。ぜひ、神様に期待をして、そして、神様はわたしを悪いようにはされない、と信頼をして、ワクワクした気持ちで、新しい一年を始めてください。かならず、神様はあなたの1年を豊かさと楽しさで彩ってくださいます。

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