不安な時代のカール・バルト

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聖書の言葉

その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存知である。気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。

新約聖書 マルコによる福音書 13章32,33節

宇野元によるメッセージ

「なんと言う時代でしょう!このようなことがいつまで続くのでしょうか?永遠に繰り返されるのでしょうか?」

往復書簡集『晩年に贈られた友情』における、神学者と作家の対話は、ベトナム戦争、ケネディ兄弟や、キング牧師の暗殺、若者の反乱という時代になされています。二人のクリスチャンによる、明るく、真剣な会話は、ときに、暗い世界の状況への問いかけや、率直な意見の交換、といった趣を示しています。

不安な時代の中で、私たちの心に、くりかえし浮かぶ問いがあります。この状況はいつまで続くのだろうか?世界はどうなるのだろう?いよいよ、世の終わりの時がきているのだろうか?

「現在、世界規模で見られる青年たちの動揺について、あなたはどのようにお考えでしょうか?」さらに当時の東欧や、アフリカや、中東の状況に触れながら、カール・バルトは、ユーモアを交えて、私たちは「主の再臨を、改めて強く求めるべき時なのでしょうか?」と記します。そうして歴史的な人物を取り上げて、それとなく自分の答えを示しています。18世紀の神学者で、ベンゲルという人物。聖書の読みかたを確立した人として知られます。時代の不安のなかで、大神学者が、世の終わりの日を予言した。そして、みごとにはずれた。それは私たちの反面教師になるだろう。

おなじ年、カール・バルトは亡くなる日の夕方に、親しい友人と電話で話しました。その内容が書き留められ、のちに印刷されて知られるようになりました。そのときも、世界の暗い雲行きについて語り合っています。バルトが最後に言った言葉が、次のように再現されています。

「うん、世界は暗いね。でもしょんぼりしちゃいけないね。絶対に。治められているからね。上より、天より。神が統治の座にいらっしゃる。だからぼくはおそれない。どんなに暗いときも、ぼくらは確かな心であり続けよう。すべての人の望み、すべての人の世界の望みを手放さないようにしよう。神は、ぼくらが倒れるのを許されない。ぼくら個人が、また皆がそうなるのを。治められているよ。」

合言葉のように「治められている」という言葉が繰り返されます。この言葉は、彼らが敬愛する牧師の言葉で、その父親の臨終の際に語られたものです。もともとはこういう言葉でした。――パパ、勝利されているよ。

ところが面白いことに、これがいつのまにか「治められている」という言葉になって広まりました。バルトの言葉は、それによります。「治められている」「勝利されている」、どちらも味わいぶかい言葉であると思います。

不安な時代に、イエスが語った言葉が思いだされます。弟子たちがやってきて、世の終わりについて質問します。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか?」

弟子たちの問いに、イエスは最後にこう答えています。「その日、その時は、だれも知らない。父だけがご存知である。気をつけて、目を覚ましていなさい。」

世の終わりについて、聖書に尋ねようとするとき、大きな要点が示されています。「この出来事が、終わりの出来事じゃないか?」「これがそれじゃないか?」そういう思いに対して、イエスはなんども語られます。「まだ、世の終わりではない」と。これこそ、と心が波だつ出来事が起きる。事件が起きる。事故が起きる。災害が起きる。テロが起きる。しかし、まだその時ではない。あなたがたにはわからない。それは「父だけがご存知である」と語られています。だれも知らない。しかし、イエスの父である方がご存知でいらっしゃる。

イエスは世に救いをもたらすために生まれ、私たちの救いのために、苦難による勝利者になられた。だから、気をつけて目を覚ましているように。この勧めは、静かに、落ち着いているように、という勧めとつながっています。

「世界の歩みは治められている。そして何事も、キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできない。不安な時も、信頼しているように。」力強くそう語りかけられます。

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