逃げ出した預言者ヨナ

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聖書の言葉

主の言葉がアミタイの子ヨナに臨んだ。「さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ。彼らの悪はわたしの前に届いている。」しかしヨナは主から逃れようとして出発し、タルシシュに向かった。ヤッファに下ると、折よくタルシシュ行きの船が見つかったので、船賃を払って乗り込み、人々に紛れ込んで主から逃れようと、タルシシュに向かった。

旧約聖書 ヨナ書 1章1~3節

望月信によるメッセージ

旧約のヨナ書の御言葉に、ご一緒に耳を傾けます。ヨナ書は、子ども向けの聖書絵本などでよく親しまれていると思います。それは、ヨナ書そのものが、アミタイの子ヨナに起こった出来事に基づいて、ドラマ仕立てのような仕方で編集されて成り立っているからでしょう。旧約の神の民においても、ドキドキわくわくしながら楽しむことができる物語として、親しまれてきたのだと思います。

ドキドキわくわく楽しむことができる。その通り、ヨナ書はその始まりから衝撃的です。主の御言葉を聞いて預言者が逃げ出すのです。逃亡する預言者の姿から、物語が始まります。「さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ。彼らの悪はわたしの前に届いている」。こう命じられて、ヨナは主から逃れようとしました。「主から逃れようとして」という言葉は、「主の御顔を避けて」と翻訳することができます。ヨナは預言者でありながら、主の御前に立つことを止め、主の御顔を避けて逃げ出しました。港町であるヤッファに下り、船に乗ってタルシシュに向かいます。ニネベはイスラエルからすると東の方角です。それに対してタルシシュは西も西、西の果てと言うべきところです。ヨナは、ニネベとはまるで正反対の方角に向かい、主の御顔の前から逃れようとしたのです。

ヨナはいったいどうして逃げ出したのか。ヨナは北イスラエル王国の預言者でした。彼は北イスラエル王国が繁栄することを預言し、その通り、北イスラエル王国は近隣の国々と戦って勝利し、失われていた領土の幾らかを回復することができました。そのため、ヨナは勝利の預言者、愛国の預言者として尊敬され、宮廷からも重んじられるようになっていました。それに対して、「行きなさい」と命じられたニネベは、イスラエルの敵国であるアッシリア帝国の首都です。そのニネベで神の御言葉を告げるならば、イスラエルの人びとからは祖国イスラエルを裏切ったと思われるでしょう。そんなことをすると、自分のこれまでの業績、自分に与えられた名誉を失うことになるかもしれません。また、神の御言葉を告げるとは、神の愛の対象だということです。敵国であるアッシリアが神の愛、神の祝福を受けるのか、そんなことがあってよいはずはない。ヨナはそのようにも思ったでしょう。ヨナは、ニネベで神の御言葉を告げることは、自分の思いに反する、自分のこれまでしてきたこととは違う、そう考えて、神の御前から立ち去ることにしたのだと思います。そこにあるのは実のところ、人間のかたくなな心であり、神の御心を拒む、自己中心の罪にほかならない。そう申し上げることができるでしょう。

そうして逃げ出したヨナを、主なる神は、追い求めます。ヨナを捕らえるために、神は、ご自身の長い御手を伸ばされました。ヨナは船に乗り込みましたが、大風が起こり、海は大荒れになります。嵐によって船は今にも砕けんばかりです。船乗りたちは恐怖に陥り、助けを求めて叫び声を上げます。積み荷を海に捨てて、少しでも船を軽くしようといたします。けれども、ヨナは、船底でぐっすりと眠り込んでいました。それは、決して心地よい眠りではなく、ふて寝のようなものです。そこには、神の御前から逃れて、自分の思いの中に閉じこもる、罪人の姿があります。

その閉じこもるヨナを、まず船長が見つけて、「あなたの神を呼べ」と言います。続いて人びとは、くじを引いて誰に責任があるのか、明らかにしようといたします。そのくじにより、ヨナに責任があることが明らかになり、人びとは「何ということをしたのだ」と言って、ヨナに詰め寄ります。実のところ、これらは彼ら異邦人の口を通して主なる神がおっしゃっておられるのです。「あなたはどこへ行くのか」、「あなたは誰から逃げ出そうとしているのか」。そう、主ご自身がヨナに問いかけておられます。異邦人の口を通して、ヨナをご自身の御前に立ち帰らせようとしておられるのです。

二つのことを心に留めましょう。一つは、主の御顔を避けて逃げ出したヨナを、主ご自身が力を尽くして追い求めてくださっています。聖書の神は、私たちを愛して、追い求めてくださるお方にほかなりません。そして、もう一つ、イスラエルの民を愛しヨナを愛する神は、ニネベを愛し異邦人を愛する神でもあられます。ヨナはニネベを愛する神など認められないと思いました。けれども、真実には、ニネベを惜しむ神だからこそ、主の御顔を避けて逃げ出すヨナをも追い求めてくださるのです。神の御前に、神の民も異邦人もありません。イスラエルの民であっても預言者であっても罪人にほかならない。ヨナ自身もかたくなな罪人だったのです。主なる神は、その罪人を愛して罪の内に滅びることを惜しんでおられます。そして、そのような神だからこそ、やがて時満ちて、十字架のイエス・キリストを私たちにお与えくださったのです。

嵐がますますひどくなり、人びとはついにヨナを海に放り込む決断をいたします。もちろん、人を海に放り込むなど、すべきことではありません。ですから、「この男の命のゆえに滅ぼさないでください」と祈りながら、放り込みます。すると、荒れ狂っていた海は、たちまち静まり、それを見た人びとは、主を大いに畏れることへと導かれました。

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