敬虔訓練

ラジオ放送 キリストへの時間のトップページへ戻る

聖書の言葉

敬虔のために自分を鍛練しなさい。肉体の鍛練もいくらかは有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です。(新改訳)

新約聖書 テモテへの手紙一 4章7,8節

李哲敏によるメッセージ

今週の金曜日から2018年ロシア・ワールドカップ(サッカー)が始まります。

この放送を聞いておられる方の中にはサッカ―があまり好きでない方もおられるかもしれませんが、小学生の時にサッカーをしていた私はワールドカップの開幕を楽しみにしています。4年ごとに開かれるこの大会のため、全世界のサッカー選手たちは無数の汗を流しながら訓練と練習で準備したと思います。今度こそ自分がスーパースターになると思う選手もいるでしょう。

現在の世界サッカー界で、自他共に認めるスーパースターは二人です。一人はアルゼンチン代表で、スペイン・バルセロナ所属のリオネル・メッシで、もう一人は、ポルトガル代表で同じくスペイン・レアル・マドリード所属のC・ロナウドです。この二人は優劣をつけがたいほどの、最高のサッカー選手です。わたしはこの二人のファンですので、この二人に関する記事があればほぼ全部読みます。そのうち2014年に読んだ記事が今も記憶に残っています。

現レアル・マドリードの監督であるジネディーヌ・ジダンがあるスポーツ誌の記者とのインタービューでC・ロナウドに関してこのように言いました。

「僕は毎日彼の練習姿を見ている。彼は誰よりも早く練習場につき、誰よりも遅く練習場を離れる。そして、彼はチーム全体練習が終わった後、2時間ずつ個人練習も毎日している。彼はいつもより高いレベルを追い求めている」と。

ジダン監督が言ったように彼は世界トッププレイヤーになった今も毎日厳しく練習をしています。その理由をロナウドは、「試合で最高のプレイをするためだ」と言いました。

そうです。運動選手が厳しい訓練と練習を毎日する理由は試合で最高のプレイをするためです。いくら才能があっても、有名な選手であっても、訓練と練習を怠れば現役生活を長くは保てません。訓練と練習で流した汗は自分を裏切らないからです。これは、スポーツ界だけでなく、音楽界や、学問分野などのすべての領域にも同じく適用される、いわゆる「法則」である、と思います。

さて、テキストで著者は「敬虔のために自分を鍛練しなさい」と言っています。

ジャン・カルヴァンは、敬虔とは、純潔な良心からの霊的礼拝、すなわち、神さまが喜ばれる礼拝だといいました。そして、ここで「鍛錬」と翻訳されたこの単語は、運動選手が競技へ出るために行う練習のことです。英語で、体育館を意味するgymnasiumもこの単語から由来したと言われます。ということは、神さまが喜ばれる礼拝である敬虔は、一朝一夕でできるものではなく、継続的なトレーニングを通して完成するものだということです。私の長男はサッカーが好きでサッカー選手になりたいと言ってます。しかし、彼が今サッカークラブに入ってすぐプロになれるわけがありません。同じように、福音を聞き、イエス・キリストを信じたからといって、それだけで神さまが喜ばれる霊的礼拝の敬虔がすぐ完成することではないということです。

それでは、神さまが喜ばれる礼拝のために私たちがなすべき鍛錬とは何でしょうか。何を用いて鍛錬すればいいのか。

著者パウロはテモテに、「聖書の朗読と勧めと教えとに専念しなさい」と言いました。敬虔のための鍛錬道具は、聖書です。そして、パウロは本書4:5で、「神の言葉と祈りとによって聖なるものとされるのです」と言いました。敬虔のためのもう一つの鍛錬道具は、祈りです。

聖書とお祈りという道具を用いて、ことばにも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも、それらすべてについて聖なるものとなっていくことが敬虔への鍛錬なのです。私たちのことばと行い、愛と信仰と純潔は日曜日だけに使うものではありません。この点から見れば、敬虔すなわち神さまが喜ばれる礼拝とは必ずしも日曜日の礼拝だけではないこと。そして、敬虔への鍛錬は自分の日常の中で聖書と祈りを通して行うべきである、ということが分かります。この二つの道具を用いて、自分の日常そのものが神さまへの霊的礼拝になるようにすること。それが敬虔の鍛錬です。

十分な練習と訓練という基礎の上に実力が積み上がります。私たちのことばと行い、愛と信仰、純潔は自分が御言葉とお祈りを用いて積み上げた敬虔の訓練の産物です。主の御言葉を深く黙想し、豊かなお祈りの恵みをいただいた人の言葉や振る舞いは、他とはひと味違います。

このラジオを聞いておられるキリスト者の皆さんの敬虔の訓練が祝されますように。信仰に引退はありません。神様の御言葉とお祈りで常に最高の霊的コンディションを保たれますように。訓練は大変です。したくない時もあります。しかし、私たちが行うべきこの敬虔の訓練は、この世に生きる私たちにも、そして来るべき世での命、すなわち、肉体の死後のわたしたちにとっても有益になるものです。ですので、今日も御言葉とお祈りに専念しましょう。

もし、まだキリストを知らないお方、または信じていないお方は、この世での人生だけでなく、未来、すなわち、永遠の命が約束された敬虔への訓練をお受けいただけませんか。敬虔の訓練を受ける唯一のトレーニングセンターが教会です。教会は皆さんの来会を心からお待ちしております。

関連する番組