まもなくかなたの
赤石めぐみ
- 伊丹教会 教会員
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天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に12回実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。
新約聖書 ヨハネの黙示録 22章1,2節
まずは(今お読みした聖書の個所が元になっている)このさんびかをお聞きください。
♪音楽
水晶より透きとおる流れのそばで・・・
これは聖歌687番「まもなくかなたの」という賛美歌の2番の歌詞ですが、わたしは上高地に行ったとき、梓川の流れを見て、「水晶より透きとおる流れ」って、こんなかなあ!と思いました。ちなみに上高地は山開きをして今日でちょうど1ヶ月。来週にはウェストン祭が行われるそうです。イギリスから来た宣教師であったウェストンが、日曜日にたびたび登山に出かけていて、もともと修行のために行われていた登山・宗教行為であった登山をレジャーとして知らしめた、と聞くとなんだかあべこべのような気もしますが、実はこのウェストン宣教師は、少なくとも、日本人のわたしが知っている以上に日本古来の宗教、その儀式の意味や色々な仏像の名前の意味、日本人の宗教観についてよく知っておられ、その上で宣教活動をしておられたようです。
ウェストン宣教師はこう言っています。
「世間でよくいわれるように、人間の性質はその人の自然に対する態度によって評価がきまるというのが正しいとすれば、世界の民族の中でも日本人の占める地位は独特なものであるといえよう。日本人ほど生まれつき自然に対する愛着が強く、それが皆の間に広まっている民族を見たことがない。この特徴は日本人の生活全般に浸透しているもので、それは彼らの日常生活や休日の娯楽のみならず、宗教、芸術、詩歌などの全領域に彩りを与えている。」(『ウェストンの明治見聞記』より)
ウェストン宣教師は100年ほど前の人ですが、「近年西洋との交際によって日本に起きた変化は確かに大きかったが、それも1300年前に起きた(大化の改新という大きな)変化に比べればたいしたものではない」と言っています。明治期にキリスト教の影響は大きかったのですが、大化の改新のときほど、日本人の精神性を変え、生活を変えたものはなかった、というのです。「彼らの信仰を鼓舞するのは、遠き昔のものでも偉大なものでもなく、身近にある風変わりな美しいものである」と言って、自然に対する日本人の思いに理解を示したのでした。
15年前のわたしだったら、「日本人は生まれつき自然に対する愛着が強い」と聞いたら違和感がありました。首都圏に生まれ育ち、都会の便利さの中で暮らしていましたから、自分の中に自然に対する愛着というものはそんなにないような気がしていました。しかし、関西に移住し、結婚して休暇ごとに夫と一緒に自転車で日本中を旅するようになってから、わたしは自分の中に「生まれつき自然に対する愛着が強い」と言われている日本人の気質がよみがえってくるのを強く感じるようになりました。
自転車で走ってみると、地形がわかり、坂道や風の吹き方を体で感じ、自分の目でその風景を眺めることによって、天地を造られた神さまへの畏敬の念をさらに深く感じることが出来るようになりました。そういうふうに神さまを感じることが出来ると、有名なお坊さんがなぜそこで修行したのか、あちこちの村の神社やお寺、お地蔵さんがなぜそういう形でそこにあるのか、共感すら出来るようになりました。大きな神社は必ず社のそばを水が流れています。さまざまな木々が植えられて、よく手入れされています。冒頭でお読みしたような御言葉のように、聖書に記されている神殿の姿を具体的に現しているのは、小さな敷地に精一杯の広さを確保しようとして庭も水の流れもなく建物だけを建てたキリスト教の教会堂よりも、神社のほうかもしれない、という気さえしてしまいます。キリスト教から見れば異教のものでも、聖書に反している、とは言い切れないかもしれないのです。むしろ、日本の気候風土の中で聖書の言葉を読み直し、私たちのほうが教え直され、その上で日本の皆さんに説き明かされていく必要があるのではないかと思わされています。実際、わたしは自転車旅をしながら、出会った風景によって聖書の言葉を改めて新鮮に思い出したという経験が幾度もあります。上高地で梓川を見たときもそうだったのでした。
「かみさまのそばのきれいなきれいな川で、みんなで集まる日のああなつかしや」
いま、それぞれにいろいろな悩みや苦しみがあるかもしれません。死のおそれ、悲しみがあるかもしれません。しかし神さまが私たちの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる日が来ます。もはや死もなく、悲しみも嘆きも労苦もない日がやって来ます。神さまに見放されているような気がしていたとしても、神さまは片時も離れずにいてくださったことをやがて知り、これからは神さまがいつもずっと一緒にいてくださることを強く感じることが出来る日が来ます。黙示録でイエスさまはそう約束してくださっています(ヨハネの黙示録21章3,4節)。梓川のように水晶のように輝くきれいなきれいな川で、みんながいっしょに神さまを礼拝します。そこには平安と喜びがあります。イエスさまはあなたにもその川辺の情景を見せてくださり、また実際にそこへと導いてくださいます。