神の声を聞くために

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聖書の言葉

主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。「サムエルよ。」サムエルは答えた。「どうぞお話しください。僕は聞いております。」

旧約聖書 サムエル記上 3章10節

宮武輝彦によるメッセージ

男山教会は、今年、1972年2月に伝道が開始されてから46年目を迎えました。日曜日の教会の礼拝には、幼子から、お年を召された高齢の方まで、40名ほどの方々が集っています。

礼拝は、神さまからの語りかけである、聖書朗読と、聖書の説き明かしである説教、そして、神さまへの応答である、讃美歌を歌い、お祈りをささげることの、二つのことから成り立っています。それは、いわば、神さまとの応答関係をそこでいただくということです。

最初に読みました、聖書の言葉のとおりに、昔、少年サムエルは、神さまからの声を聞きました。それは、「少年サムエルはエリのもとで主に仕えていた。そのころ、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった。」(サムエル記上3章1節)と、同じくサムエル記上3章で伝えられているとおりに、“主”と呼ばれる本当の神さまの言葉が臨むことの少ない時代に、神さまが直接サムエルに語られた、とても貴重な体験であった、言えます。

礼拝は、神さまからの語りかけとそれに対する応答から成り立っているとお伝えしましたが、サムエルのように、直接、神さまの声を聞くことはないのに、どうして、今、教会の礼拝、家庭の礼拝、また、一人一人の礼拝が成り立っているのでしょうか。

それは、神さまと罪人のただお一人の仲立ちとなられた、イエス・キリストがこの世に来てくださり、十字架の死から復活され天にあげられたことによって、神さまと罪人の間にあった大きなへだたりを超えて、天と地をつなぐはしごとなられたからです。

ですから、キリスト教会では、お祈りするたびごとに、イエス・キリストの御名、お名前によってお祈りしますと言い、聖霊なる神さまの恵みによって礼拝をささげています。

そして、今、イエス・キリストを信じる人たちの集まる礼拝の時こそ、神さまが、聖書の言葉によって、一人一人の心に、神さまの言葉を直接に語りかけてくださる最も良い時と言うことができます。

イエス・キリストが、今から、二千年前に、ガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられたとき、水の中から上がるとすぐ、天が裂けて、神さまの霊が鳩のようにご自分にくだってくるのを見られました。

このとき、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という、神さまの声が、天から聞こえたのです(マルコによる福音書1章11節)。この声こそ、イエス・キリストがどういう方であるかを証言する、神さまからの声そのものでした。そして、イエス・キリストは、ガリラヤへ行き、神の福音、喜ばしい知らせを宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われ、人々に、福音を伝え始めたのでした(マルコによる福音書1章14,15節)。

男山教会では、日曜日の礼拝のほかに、週日の水曜日に、祈祷会をもち、また、四つの家庭集会をもっています。この家庭集会の一つで、聖書のお話とともに、大塚野百合さんの書かれた、讃美歌の成り立ちをよく調べられた数冊の本を読み合わせていました。その一つ、『讃美歌と大作曲家たち~こころを癒すしらべの秘密』(創元社)に、この後で聞く、「あさかぜしずかに」のエピソードが載っていますので、そのあらましを紹介しましょう(236~244頁)。

「あさかぜしずかに」は、アメリカにおいて奴隷解放運動に火をつけ、南北戦争の引き金の一つになったとも言われる、『アンクル・トムの小屋』を書いたストウ夫人の歌詞に、メンデルスゾーンの無言歌のメロディーがそえられたものです。ストウ夫人は、『アンクル・トムの小屋』を書いた年、1852年の7月に、「あさかぜしずかに」を、夫の転勤でマサチューセッツ州のアンドーヴァー神学校に移ったときに書きました。ストウ夫人は、朝、4時半におきて、小鳥のさえずりを聞きながら、静かに神さまと共にいることを感じて、祈ることを愛していました。『アンクル・トムの小屋』が各国語に訳されて、世界的に有名になることよりも、ストウ夫人にとって、このうえない祝福のときは、子どもたちが目ざめて、いそがしくなる前に、静かに神さまのそばで祈っているときであったのです。

「あさかぜしずかに」の一節をもとの歌にそくして訳すと、

静かに、静かに、主よ、みそばにはべります。紫に朝があけそめける時、小鳥が目ざめて、闇がにげさる時。朝よりもうるわしく、日の光よりも美しく心にうかぶのは、私がみそばにはべっているという心を魅する思いです。

と歌われ、一人静かに、神さまのそばにいることの祝福をストウ夫人が味わっているその表情を想像できます。

昔、サムエルが、神さまからの声を聞いたように、また、イエス・キリストに、天から、神さまの声があったように、そして、ストウ夫人が、朝のひとときを、神さまといっしょにいることを覚えて、静かに祈りの時間をもちながら、「あさかぜしずかに」の歌詞を書いたように、今,ラジオをお聴きのみなさんも、神さまからの声を聞くことのすばらしさを知ってくだされば幸いです。

そして、どうぞ、教会の礼拝にお出でくださり、神さまの声、神さまの独り子イエス・キリストの声を聞き、静まって祈りつつ、礼拝の喜びを、ご一緒にしてくだされば、本当に感謝です。

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