パクス・ロマーナの世界に現われた平和の君

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聖書の言葉

実に、キリストはわたしたちの平和であります。[…]キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。

新約聖書 エフェソの信徒への手紙 2章14,17節

赤石めぐみによるメッセージ

先週、よろこびのうちにクリスマスをお祝いし、今日はもう大晦日。皆さまにとって2017年はどんな年だったでしょうか。

「いと高きところには栄光、神にあれ。地には平和、御心にかなう人にあれ。」

クリスマスに受け取った平和のメッセージを、ともしびのように大切にたずさえて、新しい年を歩み出すことができたら、と願っています。そこで、今日は、もう一度「平和」という言葉について、ご一緒に考えてみたいと思いました。

「平和」という言葉を、皆さんはどういう意味で使っていらっしゃいますか?多くの人が、どの人も同じ意味で「平和」という言葉を使っている、と錯覚しているようです。わたしもそうでした。「平和」とは、だれも武器を持たず、戦い(殺し合い)がなく、お互いを尊重して生きること、それ以外の意味はないと思っていました。しかし、2年前の新聞記事に、わたしの思っていた平和とはちがう定義が記されていました。それによると、「平和」とは、語源のラテン語「パクス」が「支配による平和」という意味を含んでおり、強い国によって平定され、そこに秩序が生み出されている状態のことだ、というのです。

「平和」を「平定」の意味で使っている人が大勢いるのですね。平和のために軍備が必要だ、と主張する人が使う「平和」は、実は「平定」です。『ローマ人の物語』の著者:塩野七生さんは「『平和(パクス)』とは、外敵からの防衛だけで実現できるものではない。人々が安全な日常を過ごせてこそ、真の『平和』なのである」と書いておられますが、結局はどちらも「平定」によってもたらされているものだと思います。「パクス・ロマーナ(ローマによる平和)」と呼ばれていた時代がありましたが、その平和は永遠のものではありませんでした。国境線をはじめとして、いつもどこかに戦いが勃発する心配があり、敵をいつも意識している必要がありました。やられたらやり返す、あるいは、やられる前に防ぐために、備えている必要がありました。国の制度や広い国土にはり巡らされた道路などは常にメンテナンスが必要でした。平和な国を治めているはずの皇帝はと言えば、その家庭生活には平和がない状態でした。

イエスさまが来られたのは、そういう「パクス・ロマーナ」の時代でした。

パクス・ロマーナの世界に現われた平和の君。

実はイエスさまは、パクスとは全く違う意味の「平和の君」でいらっしゃいました。

イエスさまというお方は、ご自身が平和そのものでした。そして、「平定」でもたらされるのとは全くちがう・桁違いの「平安」というものをもたらされます。イエスさまは、聖書の言葉をとおして、今を生きるわたしたちにも「平和」「平安」与えてくださるお方です。

ラテン語のパクスとはちがって、聖書の言語であるヘブライ語の「平和(シャローム)」には、「元の完全な姿への回復・帰還」という意味が含まれています。私たちには罪があるので、人に対してよくない感情を抱き、いさかいを招き、冷え冷えとした人間関係に苦しみます。また、神に対しても、神がいないかのように生き、神に逆らって生きているので、体や心に異常を来たして病気になったり、異常気象がもたらす災害にさいなまれたりするのです。イエスさまご自身が平和(シャローム)そのものと言いましたのは、イエスさまは神さまとの関係がまったく歪みなく、完全でいらっしゃるからです。

そのイエスさまがこの世に来られました。それは、私たち人間一人ひとりを憐れんで、神が造られた元の完全な姿に回復してくださるため・神が造られた世界で、私たち人間が安心して憩い、生きていくことができる状態にしてくださるためでした。権力や兵力を用いて平定するのとは全くちがう仕方で「平安」をもたらしてくださるためでした。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」

イエスさまは、過酷な支配で私たちを平定する、ということはなさいません。敵に対して壁を築いて自分の領域だけを守るような仕方で平和をつくるお方ではありません。むしろ壁を取り壊して、お互いが安心して自由に行き来できる関係を回復して、平和をつくられます。やられたらやり返すことを強く戒め、むしろ、右の頬を打たれたら左の頬も向けなさい、とおっしゃる方です。自分を迫害するもののために祈れ、ともおっしゃいました。イエスさまご自身、ののしられてもののしり返さず、十字架の死を従順に耐え忍ばれました。そして復活して、「あなたがたに平和があるように」と言ってくださいました。決して自己正当化のために戦わないその姿が、神の前に「平和」とされることでした。

あなたは今、平安ですか。あなたの中に「キリストの平和」がありますか。つまり、決して自己正当化のために戦わない姿がありますか?

あなたのご家庭に、今、平和がありますか。つまり、家族のだれかに平定されているような状態ではなく、家族のだれもが、ご家庭の中で安心して過ごし、憩い、平安な気持ちで過ごせていますか?

イエス・キリストがもたらしてくださった平和・平安のなかで、生きていくことができたら、どんなに幸せだろう、と思います。

皆さまの新しい1年がイエス・キリストに導かれて、イエス・キリストの平安に満ちたものとなりますように。

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