イエスが愛したように

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聖書の言葉

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。[…]父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。

新約聖書 ヨハネによる福音書 15章5,9節

川瀬弓弦によるメッセージ

<メッセージ>

おはようございます。今朝も先週に引き続き、川瀬エダさんによる賛美をお聞きください。今日歌っていただくのは、「イエスが愛したように」という日本語の賛美です。この曲は、先ほどお読みしたヨハネによる福音書15章から取られた賛美です。一度歌詞をお読みします。

<歌詞>

イエスが愛したように私たちも愛し合う

その愛の中で枝となるとき多くの実を結ぶ

イエスが愛したように私たちも愛し合う

人が友のため命を捨てるほどの愛はない

ともに支え合いともに助け合うイエスの愛で

ともに祈り合いともに笑い合うイエスの愛の中

イエス様はぶどうの木、私たちはその木の枝です。この夏に行われた子供たちのキャンプで私は、ぶどうの木は、普通の木のようにどこが木の本体で、どこからが枝であるか分からないのだと初めて知りました。それくらい木であるイエス様と枝である私たちは深く、切り離しがたく一つに結ばれているということです。ですから当然、枝が木から切り離されてしまえば、枝だけではぶどうの実を結ぶことはできません。どうしたらイエス様につながっていることができるのでしょうか。ラジオを聞いておられる方の中には、自分一人でも聖書を読んで、神様にお祈りをしていれば、イエス様につながっていられる、そう実感していると感じておられる方もおられるでしょう。ただ、ぶどうの木につながっているのは、一本の枝だけではありません。そこから無数の枝に分かれています。私たちがイエス様にいつもつながっていられるようにと、神様が用意してくださったのが教会という枝です。イエス様の愛を、聖書を通して聞いて、信じるだけではなく、そのイエス様の愛で互いに愛し合うということを通して、より豊かに受け取ることができます。イエス様の愛を受けて、互いに愛し合い、助け合い、祈り合い、また笑い合う。そうやってイエス様の愛が、私たちの内に通い合うことによって、より豊かな愛の実を結ぶことができます。まだ教会に行ったことのない方は、ぜひお近くの教会に足を運んでみてください。それではお聞きください。

<♪賛美>

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