足のともし火

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聖書の言葉

あなたの御言葉は、わたしの道の光

わたしの歩みを照らす灯。

旧約聖書 詩編 119編105節

江戸浩三によるメッセージ

ともし火は新約聖書の時代にあって、生活、家庭用品として欠かせないものでした。

当時の暗い部屋の照明だけでなく、容易に得ることのできない火種の確保のために灯油を常に絶えさ無いように“ともし続ける”のが習慣でした。

そのような生活背景から、ともし火が消えるとはその家が滅びたことを意味しました。

明かりには二つの役目があります。

1. 足元を安全に照らすともしびとしての役目

2. 進むべき正しい道の方向を示す光としての役目

聖書は私たちの足のともし火です。このともし火がないとき、人生に迷ったり絶望したりします。人生が明るい時にこそともし火なる聖書の言葉を蓄えておきたいものです。人生に暗い影が忍び寄る時、わたし達が蓄えたともし火である聖書の言葉が大いなる道しるべとなることでしょう。このともし火、光こそイエス、キリストです。このイエス様という光に私たちが照らされる時、 “隠されているもので、あらわにならないものはなく、秘密にされているもので、遂には知られ、公にならないものはない”のです。

悔い改めることがあれば悔い改め、神さまに委ねることがあれば全てを委ね、神さまのともし火に照らされつつ神様の道を歩んでいきたいものです。神様のともし火をともし続けるのは誰でもない私たち一人一人なのです。

聖書はこの世の旅路を歩む私たちにとってはいわば地図です。カーナビです。

今、どこにいてどこに向かっていけばよいのか、どこを曲がっていけばよいのか示してくれます。人生の指針である聖書に従って歩みたいものです。

聖書の言葉は遠くにあるのではありません。旧約聖書申命記30章14節には、「あなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心の中にあって、あなたはこれを行うことができる」と記されています。今この世にいる私に直接与えられているのです。

聖書、み言葉は暗闇の中にあって、わたしの足元を照らし私が穴に落ちたり、危険な目にあったりすることから守ってくださる。

しかし、この教えは聖書を学ぶ事なくしては与えられません。よく学び理解し、何よりも自分から近づかなければこの恵は与えられないことは明白です。また、他人の学びによって自分も益をえることはありえません。代々クリスチャンだから私は黙っていてもこの良き福音の恵にあずかれる、わけがありません。世襲制ではないのです。神様の恵みを子々孫々に至るまで受け継がれることのできる幸いはそれなりの神様への謙遜と努力を必要とします。

私たちが神を愛するなら、神が私たちに与えてくださったみことばを大事にしなくてはいけません。何度も読み返して、意味を探り、自分にあてはめて考えることも必要であり、大切な方法でしょう。聖書をよく読むということは、単に知識をふやすだけのものではありません。

単なる興味の対象でもありません。実際に手足を動かすことが必要であります。

NO,2

自分流にやりたい、やりたくない、怠けたいという心をも従わせることが大事である、と教えています。

身近において行動する物事の第一番目に教えを置いていないからです。

多くのことを片付けてから、これを終えてから、というとまったく出来ません。

たいていそうです。お稽古事をしなければ、と思いつつそのことを第一にしないと、今日ではなく明日になり、もう何日もやらずに過してしまいます。そのうちそれで良くなり、進歩は全く見られなくなります。

献金も収入の第一番に用意しておかないと献金する分がなくなってしまいます。

なにがともあれ第一番目が大切です。人とのおつきあいでも大切な人なら第一番にします。

現代は豊かさの時代とはいえ、若い人が、小中学生、高校生に至るまで死の道に自分を置く人が多く報じられます。彼らが苦難の中にあって、一筋のともし火を見出したなら、ともし火を与える隣人がいたなら死を選ばずに済んだのでは?と心に痛く感じます。

この世において世の光として、どんなにほの暗い灯心であっても永遠にともし続けていきたいと思うのです。私たちは主イエスの愛の炎によって照らされ、この世の光とされ、信じて従うもの全ての内なる心が輝き満ちています。永遠に消えないともし火です。

信仰のともし火をともし続けることはいつの時代でも困難、試練を受けるものでありますが

神様は常に喜びと希望を用意してくれている確信を強く感じました。

皆さんの心に光を与えて下さっているのは愛に満ちた神様であることを忘れてはなりません。神様から与えられている、ともし火という光の恵みを感謝して自分という小さな存在を神様にささげましょう。

「神様の愛」があなたに届きますように密かに願っています。

時が満ちてあなたの居場所が教会に備えられますように期待しています。

伊丹教会があなたの心地よい居場所になりますように、あなたのお出でをお待ちしています。

2017年も後半に入りました。秋には多くの教会で伝道集会が持たれます。

伊丹教会でも9月24日に伝道集会を行います。どうぞ、あなたの手で教会の扉を開いて下さい。

信仰の灯がその時からあなたに灯し続けられますように。

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