アーメンである方

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聖書の言葉

アーメンである方、誠実で真実な証人、神に創造された万物の源である方が、次のように言われる。

新約聖書 ヨハネの黙示録 3章14節

宮﨑契一によるメッセージ

教会に行くと、よくアーメンという言葉を聞きます。教会での祈りの時に、いつもこの言葉は言われます。教会に行かれたことのない方でも、おそらく、この言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。アーメン、これは何となくキリスト教で言われている言葉だ、そういうイメージがあるかもしれません。

ゴルフのマスターズという有名なメジャー大会で、アーメン・コーナーと呼ばれるホールの部分がある、ということを以前テレビで見ました。アーメン・コーナー、これは打つのが非常に難しいホールのコーナー部分のことです。風の読みもとても難しくて、そのコーナーをいかにクリアするかで優勝への明暗も大きく分かれる、それがアーメン・コーナーと呼ばれる場所です。もう自分だけではそのホールを抜けるのが難しい、ただ神に祈らなければならない、その中でアーメン・コーナーという名前が付けられました。

私たちが、自分たちの力ではどうすることもできない、そういうことに向き合わされる。その時に、このアーメンという言葉が使われています。ただ神に祈らざるを得ないということです。困った時の神頼みと言われますけれども、私たちも受験や就職、結婚、またはそれ以外の重要な時に、神に祈りたいような気持ちになることもあると思います。

このアーメンという言葉、この言葉自体は一体どういう意味でしょうか。聖書の中に出てくるアーメンには、真実に、とか、確実に、という意味があります。私たちが、本当にもう自分ではどうすることもできない、そういうことに向き合わされる時があります。でも、その時に、アーメンと言うことができる、確かにその通りです、確実にそうです、真実にそうです、私たちが自分たちの人生に対してそう言うことができるというのです。何で、自分にとっては不安や恐れを覚えるような時に、アーメン、こう言うことができるのでしょうか。

聖書が教えていることは、それは、アーメンであるお方、アーメンそのものであるお方が私たちに与えられているから、ということです。聖書の中にこういう言葉があります。「アーメンである方、誠実で真実な証人、神に創造された万物の源である方」。ここではアーメンである方、と言われますし、誠実で真実な証人である方、とも言われています。誠実で真実な証人とは、御自分がそのような方であることを示すお方、ということです。

聖書に出てくるこのアーメンであるお方、それは、イエス・キリスト、ただこの方です。キリストこそ、私たちにとってアーメンであるお方ですし、確実で、真実そのものです。この方がアーメンである方だと、聖書は私たちに教えています。私たちはどんなに不安や恐怖、また自信が無いということを覚えている中でも、神に対してアーメンと言うことができます。神を喜ぶことができます。それは、神が、私たちにとってアーメンであるお方、キリストを私たちに与えてくださったからです。ただこの方を通して、この方によって、私たちは人生のいろいろな時に、神に対してアーメン、このように生きることができます。

では、キリストは、どのようにして、確実であり真実、またアーメンというお方なのでしょうか。それは、キリストの十字架と復活の出来事にあります。イエスは、神を信じないで神に背いて生きていた、私たち罪人のために身代わりとなって、御自身が十字架上で死んでくださいました。そして、罪人が新しく生きる命のために、イエスは甦ってくださいました。私たちが本当にこの人生を真実に生きるための命、これをもたらしてくださったのが真実なイエス・キリストです。このイエスを信じる人、またイエスを受け入れる人は、その人も確かに生きる者、真実に生きる者にされるのです。

私たちの人生、考えてみると、自分がどれだけの富を設けたか、またどれだけの成果を上げたか、という目に見える量よりも、自分がどのように生きたか、という見えない質の部分の方が大切なのではないかと私は思わされます。イエスも、その地上での生涯の中で、いわゆるこの世的な大成功を収めた方ではありませんでした。むしろ、最後は十字架刑という悲惨な刑罰を受けて、処刑されることになりました。

しかし、イエスは、真実に、また確かに、一人一人のために御自分を献げられた、そういう方でした。一人一人を愛し、神の救いを与え、御自分を献げられました。この十字架のイエスにこそ、私たちにとっての全ての真実、確かさ、アーメン、このことがあります。

私たち自身はアーメンなのではありません。私たちはたとえ、それなりに周りの人たちとは上手くやっていたとしても、私たちが神という方の前に置かれる時、私たちは惨めです。確かな者ではありませんし、真実な者でも、アーメンでもありません。いつも揺れ動いています。そして、不安定です。私たち自身はそのような者なのです。

しかし、そのような私たちに与えられているのが、ただお一人アーメンであるお方、イエス・キリストです。どうか、ラジオを聞いておられる皆さんが、このキリストに心を向けてくださり、この方を受け取っていただければと思います。

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