愛唱聖句

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聖書の言葉

「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。」

新約聖書 ルカによる福音書 16章10節

江戸浩三によるメッセージ

伊丹教会の江戸浩三です。

今朝は私の「信仰の証し」としてお話しをさせて頂きたいと思います。

聖書を一か所読ませていただきます。

「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である」これは聖書、ルカによる福音書16章10節の御言葉です。

この聖句は私が1962年に16歳で入社した東京の会社の社長が誕生祝いにプレゼントしてくれた聖書に書き込まれた聖句でした。社長は実業家クリスチャンとして有名な方でした。当時、教会にも行かず聖書も読むことのない私でしたが、この聖句だけは心に残り引っ越しの荷物の片隅にいつもこの聖書が入っていました。この聖句は私の性格と能力からみてとても励ましになる、と思っていました。「大きなことは出来ない。小さい事、陰に隠れたささやかなことなら出来る」と単純に思ったからです。しかし、何年かして教会に行くようになってから、良く理解していなかったことに気づきました。

ここで言っていることは成果を期待するものではなく、忠実さ、与えられたもの、任されたものに対していかに用いていくか、ということを教えているのです。外側の成果ではなく、心の動機を強調していることを教えていました。この世の財産を小とし、神さまの国を大きな事としなさい、と言っているのです。それでも、この聖句がいつの間にか「私の愛唱聖句」になっていました。皆さんも「座右の銘」として好きな名言をお持ちではないでしょうか?同じように、今では私の「座右の銘」がこの聖書の言葉です。私たちクリスチャンは自分の好きな聖書の箇所を「愛唱聖句」とし、一番好きな讃美歌を「愛唱讃美歌」として心に決めています。個人的な御祝いや、いつか自分の身に不足の事態を迎える時、葬儀に備えて、この聖書箇所を読み、讃美歌を皆さんに歌っていただくのです。

さて、この聖句を胸の内に仕舞い込みながら、いつしか教会に行き、定着するようになりました。教会の門を叩く、というと何かしら心に不安や苦しみを抱え、沈んだ気持ちを持っての事と思われるかも知れませんね?私には当時、何の不安や悩みもありませんでした。教会生活が定着した頃、信仰を持たない友人に言われたことがあります。「教会に行けば、キリスト教を信仰すれば、病気が治るのか?病気にならないのか?アーメンと言えば願いが叶うのか?」と言うのです。心の中で「そんなことあるわけないわ」と不機嫌に思いつつ顔だけ笑って「それはないだろう」と返事したことを思いだします。

教会に行けば病気をしないでしょうか?私は4回も入院しました。出世するでしょうか?金持ちになれたでしょうか?残念ながら、そんなことあるはずがありません。でも、不思議と平安に過ごせました。3人の子どもを養うことが出来ました。65歳まで働く場所が与えられ、趣味の尺八演奏も出来ました。先日14日に満70歳の誕生日を迎え、この日まで信仰と労働と趣味の3つが私の生活の中に在ったように思えます。

信仰においては受洗以来、2つの教会で5人の牧師の説教から養いを受けることが出来ました。

労働では一番最初に入社した会社、オリジン電気の創業者、後藤安太郎社長の信仰から多くを教育していただきました。趣味の尺八では人間国宝で「世界の山本」と言われた山本邦山先生から6年余り、直接指導していただいたことが大きな励ましとなりました。

伊丹教会に来て41年。この間、ずっと心の中にあるこの愛唱聖句がやっぱり私の支えになりました。神様の前に忠実に働けたかな?与えられたものを用い満足できたかな?と、自分に問い続けてきました。もし、私がこの世の名誉を得て金持ちになったり、人前で名演奏出来るほどの演奏家になったら、信仰は持てなかったことでしょう。有頂天になり、教会生活よりこの世の益を求めたことでしょう。病気もしました。人の痛みを味わうことが出来ました。それでも全てに満足できました。身の丈にあった賜物を神様は備えてくれた、と感謝しています。

洗礼を受けてから今日まで46年間、礼拝に出席できました。聖書知識が足りなくても礼拝の中で牧師の説教が満たしてくれました。教会での交わりが私自身を支え、多くの方々が助けてくれました。教会生活から生かされてきた、という実感が持てました。

昨年秋から神戸改革派神学校で校内管理の仕事をすることになり一週間に3日働いています。時折聴こえてくる学生の讃美歌を耳にしながら作業をしていると、「忠実に仕える」というこの愛唱聖句に励まされます。神様は私の人生の一コマをこの神学校に置いてくださり、誰にも見えない所で、「神の国を大事にしなさい」と、働く場を与えてくれているのだ、と思えるのです。

50年、半世紀前に頂いた一冊の聖書、見向きもしなかった聖書に書かれた一言の聖句が私の人生にこれほどついてきてくれるとは夢にも思いませんでした。

今朝、ラジオをお聞きの皆さんの中で、「教会への一歩を心にしている」という方がおられましたなら、是非教会に足を向けて下さい。教会の門を叩くことによって、あなたの今まで知らなかった、「心に響く聖書の言葉」と出会えるかも知れません。その時が、その瞬間が、あなたの新しい信仰が生まれる時です。愛唱聖句を得たときからあなたは真の神を知り、良き隣人と出会えることでしょう。それは教会でしか味わえません。

独りで聖書を読むことより、教会の礼拝の中に自分を置いて説教を聞き、祈りを心に受け止めてみてはいかがでしょうか?

ラジオ、テレビ、新聞、雑誌、ホームページなど、そして講演、コンサートに至るまで多くの手段を通して福音の宣べ伝えがなされています。

しかし、教会の席に身を置くこと、教会の中に自分の体を置き、牧師の語る神の声に耳を傾けることが一番の幸いではないでしょうか?

そのことを明日に伸ばすことなく今日、足を向けて下さい。

伊丹教会に来ていただけたら嬉しいですね?私はあなたにお会いしたい。

伊丹教会では、あなたの席をいつも用意しています。

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