わたしは神により頼みます

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聖書の言葉

【ダビデの詩。】主よ、わたしの魂はあなたを仰ぎ望み、わたしの神よ、あなたに依り頼みます。

旧約聖書 詩編 25編1~2節

川瀬弓弦によるメッセージ

弓弦:

おはようございます。今週と来週は川瀬エダさんによる賛美をお楽しみいただきたいと思っています。エダさんはウクライナ生まれのハンガリー人で、以前この番組でクリスマスの歌を賛美してくださったことがあります。今朝はスイスのジュネーブで作られた詩編歌と呼ばれる賛美から、詩編25編を賛美してくださいます。聖書をお持ちの方は、ぜひ詩編25編を開いてお聞きください。それではどうぞ。

Psalm 25

Lord, to you my soul is lifted Let me never be ashamed.

Look at me in your forgiveness For the honor of your name.

Guard my soul and rescue me On your path I humbly follow.

Save me from my enemiesSee me feel my pain and sorrow.

Turn to me in grace and mercy As I suffer all alone

Take away my sin and sadness All the trouble I have known

You alone are fair and just You will honor and protect me

In your goodness I will trustOn your people, Lord have mercy.

弓弦:

賛美はいかがだったでしょうか。約500年前にヨーロッパで宗教改革が起こった時、教会では今のように一般会衆が賛美することはありませんでした。代わりに訓練された聖歌隊がラテン語で代表して賛美をしていました。そこで宗教改革者ジャン・カルヴァンは、一般会衆が自分たちの言葉で聖書の言葉を賛美することを願いました。そこから詩編歌が誕生しました。当時は画期的な出来事でした。

しかし、それから長い年月が過ぎ、詩編歌はだんだんと歌われなくなってきました。そこでオランダ人の作曲家エルコ・ヴォスは、詩編歌を現代によみがえらせる試みを始めました。その目的は、教会が詩編歌のすばらしさを再発見し、再び詩編を歌うようになることです。この詩編25編もその一つです。

エダ:

この詩編はイスラエルの王、ダビデの詩とされています。この時すでにダビデは年をとっていました。そこで、神が自分の若い時の罪を思い起こさないように、と祈り願っているのです。ダビデは正直に自分の思いを神さまに打ち明けています。この祈りはとても謙虚で、ダビデの神さまへの服従の姿勢があらわれています。ダビデはまた、自分が行くべき道を神さまが示してくださるように、と祈り求めます。ダビデは自分の力や思いだけで生きていこうとは考えていません。この祈りが、イスラエルの王の言葉であることに驚きます。王であるダビデには、彼に仕える多くの家来や召使がいました。ダビデは彼らを自分の思い通りに支配することもできました。しかしダビデは人びとを自分に従わせることよりも、全能の神さまに仕える自分であり続けようとしたのです。

私たちの多くは何か難しい問題が起こったり、試練がやって来た時によく祈ります。私はこれまで人生の半分以上を外国で過ごしました。そこで飛行機に乗ることが多いのですが、私は飛行機が苦手です。どうしても乗らなくてはならない時には、神さまがこの旅を守ってくださるようにと祈ります。飛行機の中には、私と同じようにそわそわして、祈っている人を多く見かけます。また家族や友人が病気になった時や、何か大切な決断をしなければならない時にもよく祈ります。困難の中にある時には、神さまがにすがろうとします。しかし多くの場合、問題が解決したり、困難を乗り越えてしまうと、自分が祈ったことさえも忘れてしまうことがあります。飛行機が無事に着陸すると、あるいはうまく仕事が見つかると、祈りによって神により頼む大切さを忘れてしまうのです。

しかしダビデ王は、どんな時でも祈り求めることを忘れることがありませんでした。彼は自分の持ち物も、命も、人生も神のものであることを知っていました。神さまにより頼まなければ、王であっても一瞬たりとも生きてはいけないことを知っていたのです。私たちの命を支えておられる神さまに向かって祈り、より頼むこと、それが私たちの命の道です。

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