人生の「甲子園」のために

キリストへの時間のトップページへ戻る

聖書の言葉

体の鍛錬も多少の役には立ちますが、信心は、この世と来るべき世での命を約束するので、すべての点で益となるからです。

新約聖書 テモテへの手紙一 4章8節

吉田隆によるメッセージ

私が住んでおります教会は、阪神甲子園駅から歩いて5、6分ほどの所にあります。甲子園球場のすぐ近くです。春から秋に至るまで、試合のある日など、ワーッと言う大歓声がよく聞こえてきます。実は、かく言う私も、かつては高校球児。埼玉県にある高校で、目指せ甲子園と言って、365日、夏も冬も野球の日々を送っておりました。あまり強くないチームでしたので、最後の夏の県予選では2回戦までしか進むことができませんでした。甲子園など、夢のまた夢でした。が、その夢の場所のすぐ近くに今住んでいるのかと思うと、本当に神様は不思議なことをなさるなあと感謝をするのです。

こちらにまいりまして、一年半。もう何度かプロ野球の試合にも参りましたが、私にとっての楽しみは、やはり春夏の高校野球です。ご存じの方もおられると思いますが、高校野球では外野席はただで入ることができるのです。地元兵庫県のチームもさることながら、長いことおりました宮城県や東北のチームの試合の日にはいそいそと応援にまいります。未だに大変な思いをされている被災地から来たチームには何としても頑張ってほしいと思って応援に行くのです。

高校野球も、今では私の頃と比べれば、そうとうレベルも上がり、戦術も巧みになって見ごたえのある試合も少なくありません。けれども、やはり高校生は高校生。高校野球のいい所は、その一途さとすがすがしさ。何よりも、たった一回限りの試合の中で思いもよらないドラマが生まれる所です。思いがけないミスや9回裏の奇跡の逆転劇など、もう40年近くも前のことなのに、まるで自分がその試合の中でプレーしているような感覚に襲われ、気が付くと手にびっしょり汗をかいているようなこともよくあります。

なかでも私が涙を禁じ得ないのは、接戦した試合の最終回などで、サヨナラのエラーをしてしまったような選手に対してです。そのまま泣き崩れて、しばらく立てない選手もいます。自分のミスで、すべてが、一年間、あるいは3年間、必死になって練習に練習を重ね、仲間と積み上げてきたすべてが、自分のミスのせいで一瞬にして失われてしまう。その無念。チームのみんなに対する申し訳なさ、自分に対する情けなさ、そんな思いが手に取るようにわかるからです。ああ、あの選手はこれからずっとこの思い出を抱えたまま生きて行くのかと思うと、本当に胸が痛むのです。

考えてみますと、私たちの人生もたった一度限りの「甲子園」のようなものかもしれません。努力が報われて勝利を得る人もいれば、報われないまま舞台から去っていく人もいるかもしれません。ベンチに入れる人も、応援席から見守る人もいるでしょう。順調に行くかと思っていたら、取り返しのつかない、痛恨のエラーをしてしまう人もいることでしょう。聖書でも人生を競技にたとえて、こんなふうに言っている所があります。

「兄弟たち、わたし自身はすでに捕えたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」(フィリピ3:13-14)。

「わたしは戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです」(Ⅱテモテ4:7-8)。

そして、こう言われています。「体の鍛錬も多少の役には立ちますが、信心は、この世と来るべき世での命を約束するので、すべての点で益となるからです」(Ⅰテモテ4:8)。

40年ほど前は鍛え抜いてムキムキだった体も、今では悲しいかなプヨプヨになってしまっています。どんなに鍛えた体も衰えて行きます。けれども、様々な経験の中で鍛えられた精神力は、年を経てもその人を支え続けることができるでしょう。しかし、何にもまして大切なのは「信心」だとパウロは言うのです。信仰の心です。自分ではなく、私よりももっと大きな方、この世界よりももっともっと大きな方に寄り頼む心であると。

自分の人生など、本当にちっぽけなものです。嬉しいことも悲しいことも、苦しいこともつらいことも、すべては過ぎ去り、跡形もなくやがて消えて行きます。けれども、そんな私たちの小さな存在をずっと見守り続けていてくださる方がおられる。私の努力も、私の失敗も、痛恨のエラーも、すべてを受け止めて、すべてを赦して、私を受け止めてくださる方がおられる。実は、私がこの世に生まれて来る前から、そしてこの世の舞台から去っていく時にも、永遠に心を留めていてくださる方がおられる。そのような方を思う心は、この世を超えて続いて行く。移り変わることに捕われることなく、永遠に続くものに心を結び合わせて生きることは、この世を超える力となるのだと言うのです。

すぐれた高校野球の監督さんは、ゲームの勝ち負けよりも、シーズン中であろうとシーズンオフであろうと、選手一人一人の人生のことを思って、指導なさると言います。神様も、私たち一人一人の人生を見つめていてくださる監督さんです。この御方に信頼しつつ、人生と言う「甲子園」で共に戦ってまいりましょう。

関連する番組