死ぬほど辛い人は教会へいらっしゃい

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聖書の言葉

言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。(中略)言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

新約聖書 ヨハネによる福音書 1章4,14節

川瀬弓弦によるメッセージ

今年の夏休みが終わる頃、鎌倉市にある図書館の職員がネット上でつぶやいた言葉(ツイッター)が話題になりました。それは次のようなものです。「もうすぐ二学期。学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい。マンガもライトノベルもあるよ。一日いても誰も何も言わないよ。9月から学校へ行くくらいなら死んじゃおうと思ったら、逃げ場所に図書館も思い出してね。」

新しい学期が始まる頃になると、日本では急に子どもたちの自殺の数が増えるのだと初めて聞かされました。それは驚きでもありましたが、やっぱりそうなんだなと考えさせられることでもありました。学校が始ればまたいじめられる。辛くて苦しい思いをするくらいなら死んでしまおう、と考える子どもがとても多いのです。そんな子どもたちの自殺をなんとか食い止めようと、この職員さんは必死で呼びかけたのだと思います。学校や自分の家にも居場所がなくても、図書館に逃げておいで。誰も邪魔をしないし、好きなだけ本を読める。このつぶやきは自殺を考えているたくさんの子どもたち、また大人たちを勇気づけたことと思います。

学校で何か嫌なことがあったり、息苦しくなった時に保健室に逃げ込んだ。そういう経験が皆さんにもあると思います。後で分かったことなのですが、アメリカの図書館には「自殺がしたくなったら図書館へ」というポスターが貼られているそうです。なぜ図書館なのでしょうか。ただ学校をさぼるためではないでしょう。図書館にあるのは無数の本です。図書館に出かけるのは、自分の人生や決断を変えるような本に出会えるかもしれないからです。本当に良い本との出会いは、その人の一生を変えることになるかもしれません。

教会にも一冊の本があります。一冊の本しかない、と言っても良いかもしれません。でもこの一冊の本は私たちの人生を大きく変える力があります。それは聖書です。聖書というのは英語ではバイブルと言いますが、バイブルとは「本」という意味です。つまり聖書は本の中の本、「これぞ本」という意味です。他に比べるもののないほど特別な本であるということです。

それは聖書の言葉の内には命があるからです。聖書は命を与える言葉です。この世界は人の命を奪う言葉で溢れています。もちろん命を助けようとする素晴らしい言葉も私たちは持っています。でも私たちの言葉では、人を喜ばしたり、癒すことができても、命を与えることはできません。しかし聖書の言葉は聞く者に命を与える言葉なのです。死にたいと思う暗闇の中に取り残されている人をも、希望の光によって照らすことのできる、そのような命が宿った言葉、それが聖書の言葉です。

聖書の言葉はどうやって私たちに命を与えるというのでしょうか。聖書の中心はイエス・キリストというお方です。先ほどお読みした聖書の中で「言(ことば)」とは、このお方を指しています。それにしても、なぜ聖書は歴史に実際に生きておられたイエス様を、「言」と呼ぶのか不思議ではありませんか。ここにも他の本にはない、聖書の素晴らしさがあります。普通どんな偉人であっても、本人が亡くなれば言葉だけが残ります。しかし聖書とは、単なるイエス様の偉人伝や語録ではありません。この言葉は人に命を与えるだけではなく、この言葉の内にも命がある。つまり生きている言葉なのです。イエス様は2千年も前にこの世界に生きておられたお方ですが、今度は聖書の言葉として生きておられる。そして今もなお聖書を通して私たちに語りかけ、働きかけてくださるお方なのです。言い換えますなら、聖書を通して私たちは生きたイエス・キリストに出会うことができる。そういう不思議な言葉です。

聖書は言います。この「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」イエス様は神の子です。人間とは全く異なる、神という存在です。でもこのお方は、私たちの人生を変えるために、自らご自分の人生を変えられたお方なのです。神という永遠に変わることのないご性質から、私たちと同じ人間という人生を自らお取りになった。私たちの人生の真っただ中に生きることを選択されたのです。

誰かが人生の暗闇という穴に落ち込んでしまった時、上から「がんばれ」と励ましたり、アドバイスをするのは簡単です。でも結局は自分の苦しみを分かってくれる人はおらず、一人ぼっちなのです。しかし神の子イエス・キリストは高い所からではなく、人となって私たちと同じ所に降りて来てくださいました。同じ人生の暗闇という中に身を置いて、孤独と、その苦しさや辛さの全てを味わってくださいました。それだけではありません。このお方は、そんな私たちのために十字架の上で命をささげてくださいました。聖書の言葉が命を与えることができると言うのは、神の御子の尊い命が、この言葉の中に注がれているからなのです。

生きているより死んだほうがましだと思う時、教会を思い出してください。そこには一冊の本、聖書との出会いがあります。そして聖書を通して命を与えようとされるイエス様との出会いがあります。死ぬほど辛い人は、教会にいらっしゃい。命を与えよう。そう、イエス様ご自身があなたを招いておられます。

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