罪人を招いておられる神

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聖書の言葉

ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。

イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

新約聖書 マルコによる福音書 2章13~17節

袴田清子によるメッセージ

主イエスがガリラヤ湖のほとりに出て行かれた時、群衆がそばに集まって来たので、教えられました。しかし、その群れには加わらず、一人、収税所に座っている人がいました。アルファイの子レビという人でした。

ガリラヤは当時陸上交通の要所の一つで、ヨーロッパとアフリカの間を行き来する人々がそこを通過しました。そこには収税所があり、通行税が徴収され、当時の支配者の一人ヘロデ・アンティパスに納められていました。レビはその徴税人だったのです。ユダヤの社会においてはこのような仕事は、嫌悪と侮蔑の対象でありました。というのも、自分達を支配しているローマの権力を傘に着て、同じユダヤの同胞からお金を巻き上げていたからです。それだけでなく、徴税人の多くはそのお金で私腹を肥やしていたからです。信仰があるユダヤ人は「例え貧しくてもこの仕事にだけは就かない」と思っていたのです。それにも関わらずレビは徴税人として生活していました。一度この仕事に手を染めた人は、ユダヤ人社会から排除され、ユダヤ教の会堂から破門されました。そしてユダヤ人からは売国奴として見做されていたのです。

レビはこの収税所に座る度に、多くの同胞から軽蔑の眼差しを向けられていたので、何とも言えないつぶれそうな気持ちと、自己嫌悪の感情を持っていたかも知れません。しかし、主イエスは、通りがかりに、そのレビに『わたしに従いなさい』と声を掛けられたのです。

レビにとって主イエスに従うということは、その場で立ち上がり、収税所を離れるということでした。それは、自分の生活を成り立たせていた徴税人という立場と仕事を捨てることを意味しました。一度離れたら、二度とそこには戻れません。それでも、レビは立ち上がりました。そしてその時から彼の人生は全く変えられたのです。

私の大学時代の友人が、クリスチャンになる以前の自分の事を話してくれたことを思い出します。彼は、自分の曖昧で投げやりな生き方が嫌でたまらなかったのです。しかし、どのように生きて行けば良いか分からず、だらだらと毎日を過ごしていたと言います。しかし、何かのきっかで、教会に行き、良く分からないまま集会に出席していた時、ある聖書の御言葉に引き付けられたと語ってくれました。「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去り、全てが新しくなった」。「全てが新しくなった」という言葉に特に引き付けられたと言っていました。彼は、ちょうどレビのように、本当は自分の古い生き方が、新しくされることを、望んでいたのです。

このレビも同じです。自分で自分を変えることはできなくても、主イエスにはできるのです。主イエスに招かれたレビは大きな喜びに満たされました。さっそく自分の家で祝宴を催します。それまで、彼と食事を共にしてくれる宗教的指導者は誰一いなかったのですが、主イエスは彼と親しい食事の交わりの席に着いて下さいました。そして、その食事の席には主イエスと弟子達だけではなく、多くの徴税人や罪人も同席していました。それを見て、ファリサイ派の律法学者は、弟子達に「どうして徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と非難しました。ファリサイ派というのはローマの圧政にも屈せず、より厳格に生活を律し、敬虔な生き方をしていた人達です。彼らにはなぜ、主イエスが罪人と一緒に食事をされるのか理解できませんでした。その彼らに、主イエスは言われました。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

伝染病患者の中に入って行く人がいれば、その人もまた病気に感染する危険があります。しかし危険を顧みず病人に近づくのが医者の務めです。それと同じように、罪人に近づくのは、主イエスの務めだったのです。

主イエスは罪人を清める聖さをもっておられます。そして神の御子主イエス・キリストは、私達の罪を背負い、その罰と呪いを引き受けるために、自ら十字架の死に向われたのです。真の神様は、御自身の命を奉げて私達に罪の赦しと救いを与えて下さる神です。真の神の御子主イエスは「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない(ヨハネ14章6節)。」と語られました。そして「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる(ヨハネ10章11節)。」とも語られました。主イエス・キリストこそが、人間に与えられている唯一の救い主なのです。

真の救い主イエス・キリストは、罪人であるあなたを招くために来られました。ためらわずに、主イエスに従って行きましょう。

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