あなたが願い求めるべきお方

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聖書の言葉

わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。

新約聖書 エフェソの信徒への手紙 3章21節

宮﨑契一によるメッセージ

新しい年になりました。この放送が流れる頃には、もう2月になっています。新しい年になりますと、多くの人たちが初詣に行きます。そこで参拝をして、新しい年の無事と平安を願います。私たちには誰でも、一人一人に、自分たちの願いがあると思います。

そして、私たちは恐らく、自分の願いや目標が適うことが人生で一番の幸せだと考えているのだと思います。自分の願いや自分の思い、これが全てだ。これが適うことが、私にとって最高の幸せだと考えることがあるのではないでしょうか。

ただ、聖書に書かれていることは、それとは少し違います。聖書には、むしろ、「わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのできる神に、栄光がありますように」と書かれています。聖書の神は、私たち人間が求めたり、思ったりすること全てをはるかに超えてかなえることがおできになる方だ、と言われています。私たちが考えること以上の幸せと喜びを神は与えてくださる、というのです。

昨年のクリスマスに、一冊の絵本を読みました。クリスチャンの作家である三浦綾子さんの書かれた「したきりすずめのクリスマス」という絵本です。「したきりすずめ」という話は、多くの方が知っておられると思います。三浦さんは、この「したきりすずめ」をクリスマス風にアレンジしました。

この話には、一匹の雀が出てきます。チイ子という名前の雀です。ある時、おじいさんは山へ芝刈りに行きました。おとなしくしているんだよ、悪さをしてはいけないよ、チイ子にこう言って、おじいさんは山にでかけます。ところが、チイ子が、おじいさんとおばあさんの家を見ると、そこにのりが置いてありました。お腹がすいたチイ子は、最初は少しだけ食べるつもりが、それを全部食べてしまいました。

それを知ったおばあさんは、もうかんかんです。にくいチイ子め、そのしたを切ってやる。そう言って、おばあさんはチイ子の舌を切ってしまいました。チイ子は涙を流しながら、そこを離れて、雀のお宿、という自分の場所に逃げて行きました。ここまでは、大体皆さんも知っておられる話かもしれません。

さて、チイ子が逃げたことを知ったおじいさんは、雀を探しにお宿まで行きます。すると、お宿では、ちょうどクリスマスの集会が行われていました。そこでは、本当に小さな雀たちが、難しい聖書の言葉を覚えて、みんなの前で発表していました。また、きよしこのよる、等の讃美歌も歌われていました。おじいさんが出席したのは、そういう素晴らしい集会でした。

帰りにおじいさんは、雀たちからのプレゼントを受け取ることになります。かるいつづらと、おもいつづら、どちらを差し上げましょうか。おじいさんは、かるいつづらを選びました。おじいさんがこのつづらを開けてみると、何と聖書が入っていました。おじいさんは、喜びました。

ところが、おばあさんは、そんなかるいつづらに満足しません。かんかんに怒ります。こんな本なんか、何の価値もありゃしない。そうだ、わたしが行って、おもいつづらをもらってこよう。そこでおばあさんも、雀のお宿に行くことになります。

おばあさんを雀たちが出迎えます。ようこそ、来てくださいました。おばあさんは答えます。いや、いや、わたしは、ただつづらをもらいに来ただけじゃ。さあ、早く、つづらをお出し。おもいつづらとかるいつづら、どちらがよろしいでしょうか、雀たちが聞くと、おばあさんは、それは聞くまでもないことじゃ。おもいつづらに、きまっているわ、と答えます。そこでおばあさんは、ようやくおもいつづらを受け取って、家に帰ることになりました。

しかし、おばあさんは、途中で我慢できずにつづらを開けてしまいます。すると、そこから出てきたのは、あらゆる恐ろしいお化けたちでした。三つ目の小僧、口裂け女、やきもちのお化けなどが出てきました。たすけてえ!おばあさんはたまらずに、かがみ込んでしまいました。

すると、おばあさんのところに一人の人がやって来ました。この人は、おばあさんのところに来てこう言いました。おばあさん、良く見てください。あれは、おばけではありません。あれは、あなたの心の姿なのです、その人はそう言うのです。その時におばあさんは、三つ目の小僧の姿を見て、目が三つもある欲深い自分の姿、おもいつづらを求めた自分の姿を知ります。また、口裂け女を通して、雀の舌を切ってしまったいじわるな自分の姿を知ります。そして、やきもちのお化けを通して、怒り狂ってばかりいた、苛立つことの多い自分自身の姿に気づかされます。

おばあさんは言います。何とみにくい、私でしょ。何とおそろしい私でしょ。どうぞ、おゆるしください。今から心を変えます。今からあなたに従います。私は何と罪深い恥ずかしい人間なのでしょう、こう言うのです。このおばあさんのところに来たのは、イエス・キリストでした。キリストはこう言います。あなただけが罪深いのではありません、大人も子供もみんな同じです。キリストはそう言って、おばあさんの重い重いつづら、その罪を御自分が背負って、十字架に進んで行かれました。だいたいこういう内容です。

おばあさんは、最初はただ重いつづらだけを熱心に求めていました。けれども、おばあさんには、それよりももっと素晴らしいイエス・キリストとの出会いが与えられました。おばあさんは、キリストに出会って自分の本当の醜い姿を知ります。そして、キリストが自分の重荷を全て背負ってくださったことを心から喜びました。神様というお方は、私たちが求めたり、考えたりするものにはるかに超えたものを与えてくださるお方です。このイエス・キリストを、どうぞお一人お一人に信じていただきたいと願っています。

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