降りて行く生き方

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聖書の言葉

人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。

新約聖書 マルコによる福音書 10章45節

吉田実によるメッセージ

今回は、北海道の浦川という町にあります「べてるの家」という精神障がいなどを抱えた当事者の方々のための共同体のことを2回続けてご紹介しています。

お互いの弱さを隠すことなく、むしろ弱さをきずなとしてつながりながら、各自の弱さの体験を語り合うことによってお互いをケアしながら、だれも排除しない癒しの共同体として共に生きる「べてるの家」の人々には、その生き方、在り方を示すいくつかのキャッチフレーズのような言葉が生まれてきました。先週ご紹介しました「弱さをきずなに」「弱さの情報公開」という言葉も、大切なべてるのキャッチフレーズです。何よりもお互いに語り合うことを大切にする「三度の飯よりミーティング」という言葉も、べてるでは基本的な合言葉となっているようです。また「安心してサボれる職場作り」「手を動かすよりも口を動かせ」という楽しいキャッチフレーズもあります。「べてるの家」では当初みんなで「日高昆布」の袋詰めの内職をしていました。ところがある患者の電話の受け答えのトラブルによってその仕事が出来なくなってしまったのです。しかしその出来事をきっかけに「自分たちで商売をしてみよう!」ということになります。けれども、病が出ると働けないという現実をいやというほど知っている彼らは、お互いにそのことを認め合って、「安心してサボれる職場づくり」「手を動かすよりも口を動かせ」をモットーに、自由で頑張らない職場づくりを心掛けたのだそうです。そしてその結果、長時間働けない人の弱さをカバーする助け合いの輪が広がりまして、また安心してサボれるという心の自由を得たときに多くの当事者がかえってのびのびと働くようになりまして、今や「べてるの家」の総事業収入は年間1億円を超えるようになったと言います。「誰も排除しない」ということと「利益を生み出す」ということは決して相反するテーマではなかったのです。それを支えたのは、お互いを思いやる心のこもった言葉によるつながりでした。

そんなベてるの家にもう一つ大切なキャッチフレーズがあります。それは「降りて行く生き方」という言葉です。他人との競争に打ち勝って、右上がりに昇って成長して行くというような生き方に挫折した人々、むしろそういう競争の中から落ちこぼれて、負け続けてきた人々が共に暮らす「べてるの家」です。そんなベテルの家ではだれも競い合わず、むしろお互いの弱さを思いやりながら、そこに降りて行って支え合うという、そういう「降りて行く生き方」を基本的な生きる姿勢として身に着けて行ったのです。そして大変興味深いことは、そういう風に生きる「べてるの家」の人々と接することで、一般の社会で暮らしている人々が深い魂の慰めと癒しを体験しているということです。

そもそも聖書の初めには神様が人間を御自身にかたどって、御自身に似た者として、男と女に造ってくださったということが書かれています。つまり、人間はもともと競争して蹴落とし合って生きるのではなくて、違いのある者たちが助け合い支え合いながら共に生きるように最初から造られたのです。それが本当の意味での人間らしい生き方の基本なのです。ということは、他人との比較競争の中で、平気で人を蹴落としながら生きて行くことが出来る人の方が、人間としてどこかおかしいということになります。むしろそういう競争社会の中で適応できなくて心病む人々は、とりわけ敏感な心のセンサーを持っている人々なのであって、その叫び声は現代社会という荒野で叫ぶ預言者の声なのではないでしょうか。「その道は、神にかたどって造られた人間が歩むべき道ではない。悔い改めて主の道に立ち帰れ」と、その存在をかけて叫ぶ、「荒野で叫ぶ声」ではないかと思います。そしてそれはまさに、キリストの教会に集う者たちが共に生きる、その生き方の方向性を証しています。私たちが信じている救い主、イエス・キリスト御自身が、最も高いところから最も低いところにまで降りて来てくださった救い主だからです。イエス様は、やがてイエス様の左右の座に就きたいと願う弟子たちや、そんな仲間に腹を立てる弟子たちに向かってこうおっしゃいました。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」このイエス・キリストの御意志を実現するために存在するキリストの体なる教会の中では、競争に勝った人、強い人、能力が高い人が価値を認められるのではなくて、だれもがそこにいるだけで喜ばれ、尊ばれるのです。「べてるの家」に行くためには北海道まで行かなければなりません。でも、同じ価値観を持って共に生きる共同体でありますキリストの教会は、あなたの町にもあるはずです。そこに本当のあなたの居場所があります。

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