盲人バルティマイの癒し

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聖書の言葉

イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。

新約聖書 マルコによる福音書 10章51~52節

袴田清子によるメッセージ

イエス様は弟子たちを伴い、エリコという町に来られました。そこはエルサレムから24キロ程の所にあり、エルサレム神殿に仕える祭司やレビ人の多くがそこに住んでいました。エルサレムで祝う、過越しの祭のために、多くの人がエルサレムに向かおうとしていました。大勢の人が通る道端に、ある盲人が、物乞いをするために座らされていました。マルコによる福音書は、この盲人の名を、はっきりとティマイの子でバルティマイと、記しています。

盲人であったバルティマイは、働くこともできず、治る希望もなく、一生涯、他人からの施しによって生きて行かなくてはなりませんでした。それ故、人間としての彼の尊厳はズタズタに引き裂かれていたかも知れません。生きて行くことに対する希望も、持てなかったかも知れません。そのような中、一筋の希望の光をもたらす御方が、彼の傍を通って行かれたのです。彼は「この機会を逃せば、イエス様にお会いすることは二度と出来ない」と思ったのだと思います。そして、必死の思いで叫び出しました。「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください。」

イエス様のお話しを、聞こうと取り巻いていた人々は、バルティマイを叱りつけ、黙らせようとしました。しかし、彼は決して諦めません。それどころか、もっと大きな声で叫び続けました。「ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください。」

すると、イエス様が、バルティマイの必死の叫びを聞き分けて、立ち止まられたのです。そして、イエス様の方から「あの男を呼んで来なさい」と言われました。神は必死で御自分に向かって助けを求めて叫ぶ声を、決して無視したりなさいません。人々は彼を呼んで言いました。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」彼は、身に着けているもので、障害となりうる上着を脱ぎ捨てました。そして喜びの余り「躍り上がって」イエス様の所に来た、と記されています。

バルティマイはイエス様の事を「ダビデの子」と呼んでいます。ダビデは、神から永遠に及ぶ祝福の約束を与えられた王様でした。また、旧約預言において、「ダビデの子」という呼び方は、「救い主メシア」を指すものとして用いられるようになったものです。彼がどこまで理解していたかは定かではありません。しかし、一つ言えることは、バルティマイは、イエス様は、神にしかできない救いと、祝福をもたらす御方である、と信じていたということです。

また、彼が叫んだ「私を憐れんでください」という表現も特別な言い方です。これは旧約聖書の詩編に、度々現れ、唯一の神に、神の正しさと憐れみを乞い願う時に用いる、決まり文句です。

このようなバルティマイを前に、イエス様は、まず彼に尋ねられました。「何をしてほしいのか。」イエス様は、彼と人格的な関係を築くことなく、一方的に癒されるという方法をお採りになりませんでした。イエス様はその人に話かけ、彼自ら何を求めているのか、その答えをはっきりと口にするように導かれました。答えは明白です。「先生、目が見えるようになりたいのです。」

バルティマイは、イエス様を自分の目を開けることの出来る、特別な御方だと認めているのです。目を開けるのは、神にしかできません。イエス様はこのバルティマイの言葉と行動の全てを、御自身への信仰告白として受け入れられました。イエス様御自身の中にある、憐れみ深い恵みと癒しの力を引き出す、御自身への信仰である、と受け留められたのです。それ故、イエス様はこのように言われました。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」この言葉と同時に彼は、「ただちに見えるようになって、なお道を進まれるイエス様に従った」と聖書は記しています。

イザヤ書35章5節には救い主が来られた時、「見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く」と預言されています。正しくそれがここにおいて起こっているのです。イエス様は神からのメシア、救い主だったのです。

イエス様は、なお道を進み、やがてエルサレムにおいて、宗教的指導者たちによって、十字架刑に処せられます。イザヤ書53章にはイエス様が負われたのは、私たちの病、私たちの痛みであったことが記されています。またイエス様が刺し貫かれたのは私たちの背きのためであったと記されています。イエス様は御自身を償いの献げ物として自分から進んで十字架の上に献げてくださったのです。

今、救いを成し遂げて、よみがえられたイエス様は、天におられます。そして天から、常に、「あなたを」招いておられます。神の内にある永遠の命を与えるために、新たな歩みを歩めるようにするために、「あなたを」招いておられます。私たちもバルティマイのように、イエス様の所に馳せ参じようではありませんか。イエス様は「あなたが」、御自身の所に来るのを待っておられるのですから。

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