何処までもあなたを追いかける神

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聖書の言葉

彼は、主に訴えた。「ああ、主よ、わたしがまだ国にいましたとき、言ったとおりではありませんか。だから、わたしは先にタルシシュに向かって逃げたのです。わたしには、こうなることが分かっていました。あなたは、恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方です。」

旧約聖書 ヨナ書 4章2節

宮﨑契一によるメッセージ

新しい年が始まって一月が過ぎました。ラジオを聞いておられる皆さんも、新しい思いでこの年を過ごしておられるかもしれません。

新しい年が始まりますと、新しい思いで生きる、という思いが湧き上がることがあると思います。今年こそ良い年にしたい、という思いがあると思うのです。ただ、その中で皆さんにお伝えしたいことは、神の言葉である聖書の言葉に耳を傾ける、この言葉に聞くということが、あなたの生き方を一番新しくするということです。

この聖書の言葉は、私たちを心の底から全く新しく造りかえることのできる力ある言葉です。私自身も、聖書の言葉が示すイエス・キリストというお方によって新しく生きる者にされました。そして、今教会の牧師をしています。どうか、このラジオを聞いておられる一人でも多くの方々に聖書を読んでいただいて、イエス・キリストという救い主に出会っていただきたいと願っています。

イエス・キリストの救いや信仰は、神様のほうから私たちに与えてくださるものです。自分の方から、神を悟ることができたとか、修行して功徳を積んで、ようやくこの方に出会うことができた、というものではありません。私たちは、この短い人生の中で、本当にいろいろなことに向き合わされています。日常生活の何気ない些細なこともあれば、非常に困難で悩ましい出来事にも向き合わされることもあります。

イエス・キリストとの出会いというのは、そういう具体的な生活の中で一人一人に与えられるものです。例えば、日曜日の朝にラジオを何気なくつけて、この放送に偶然出会ったということもあると思います。そこには本当に驚くような、神の不思議なご計画と導きがあります。その中で一人一人は信じる者にされます。

最初にお読みしました聖書では、ヨナという人の言葉をお読みしました。この人は、神様の前からずっと逃げ続けていたような人でした。神を信じるということ、神に従うということがなかなかできませんでした。むしろ、神から離れ、神を避けようとしていた人です。

このヨナが聖書の神様についてこういうふうに言っています。「あなたは、恵みと憐れみの神であり、忍耐ぶかく、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方です」。

ヨナはここで、恵みと憐れみに満ちた神様に対して、わたしの負けです、と降参しています。ヨナという人は、これまで本当に神様から逃げ続けて、従うこと、信じることの非常に弱い人でした。その彼が、神様あなたは恵みと憐れみの神です。慈しみに富んでおられます。災いを下そうとしても思い直される方です、と言います。どんなに駄目な人でも、その人を恵みをもって迫いかけて来る神様のことが告白されているのです。

聖書が語っていることは、私たち自身は、ラジオの前のあなたも含めて、神の前に何も良いところはないということです。いつも神から離れて生きようとしている、ただ自分の自由に生きようとしている。そして、そのことが自分にとっての一番の幸せだと考えている、そういうところが私たちにはあるのではないでしょう。私たちもヨナに似ているのだと思います。神や救いが無くても、自分は生きていける、そのようにさえ考えるのではないでしょうか。

でも、聖書の神様という方は、そのようなあなたにこそ出会われる方なのです。そして、あなたに救いを与えようと迫って来られる方です。神様は有無を言わさず、私たちを救いに巻き込もうとされている、そういうふうにも言ってしまって良いかもしれません。それはただ、神様が与えてくださるものです。

私自身もそもそも、牧師になりたいということを全く考えていませんでした。もともと、それほど熱心に教会に通っていた訳でもありません。ヨナのように離れていたのかもしれません。ただ自分の思っている通りに、生きることができれば、それが自分にとっての一番の幸せだと考えていました。良い大学に行って、良い仕事に就けば、それが一番のことだと私は自分のことを思っていました。

けれども、私自身のそういう計画は結局、全て上手く行きませんでした。その時、私は本当に自分が砕かれるような思いをしました。そして、自分のことが嫌になりました。自分が駄目な者である、ということが良く分かったからです。でも、私がそういうふうに思っていた時に、神様の恵みは始まりました。私を信仰へと導いてくれた友人がやがて与えられました。そして、私は聖書を真剣に読み始めるようになりました。聖書を読んで教会に通い続けるようになりました。そして、神様から離れていた自分だけれども、この自分もキリストに救われている、そういう思いが与えられました。

信仰は、何か私の方から求めたというよりも、むしろいろいろな出来事がある中で、導かれるものです。信じる者にさせられた、ということです。本当に神がここまで自分を導いてくださった、という感謝と喜びがいつもあるものです。そのように神様に導かれて、イエス・キリストという救い主に出会うところに、私たちにとってのただ一つの慰めがあるのです。

ヨナに対してもなさったように、神様というお方は逃げ続けるお一人お一人をどこまでも追いかけて行かれる方です。そして、一人一人を導いてキリストを信じる者にされます。ラジオを聞いておられるあなたも、どうか神様からの呼び掛けに応えて、キリストを信じ受け入れていただきたいと思っています。

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