自転車と聖書の意外な関係①

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聖書の言葉

百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。

新約聖書 マルコによる福音書 15章39節

赤石めぐみによるメッセージ

いつか司会をさせていただいたときに、チラッとお話した、自転車と聖書の意外な関係について、二回にわたってお話ししたいと思います。

我が家では、2006年から、まずは夫が自転車に乗り始めました。最初の自転車はCenturionというドイツの自転車メーカーのクロスバイクでした。クロスバイクというのは、タイヤの細いロードバイクと、泥んこ道も走れるタイヤの太いマウンテンバイクの中間的な形の自転車です。まもなく夫は、もっと速く走れるタイヤの細いロードバイクに乗り換えたので、センチュリオンのクロスバイクは私が譲り受けました。こうして二人で自転車に乗ってあちこち旅をするようになったのです。淡路島一周や仁淀川と四万十川をたどる旅、しまなみ海道、鳥取などへ、私はセンチュリオンで行きました。今は私もロードバイクに乗るようになりましたが、それまで5年間はこのセンチュリオンが相棒でした。

センチュリオンとは、聖書にも出てくるローマの百人隊長のことです。屈強に進撃していく百人隊長のようにぐんぐん前へ進む自転車、ということで名付けられたのかもしれません。自転車の前の部分には百人隊長の兜のマークがついています。

ローマの戦史における百人隊長の活躍についてのエピソードはさまざまな歴史書をひもとくといろいろ見つかると思いますが、今日は聖書の中で百人隊長がどんなふうに描かれているかをご紹介したいと思います。

百人隊長が出てくるお話は、聖書の中に3つほどあります。1つめは、イエスさまが百人隊長のしもべをいやしてくださったお話です。百人隊長はしもべの病をいやしてくださるようにイエスさまにお願いしますが、「わたしが行って、いやしてあげよう」とおっしゃるイエスさまに対して、百人隊長は「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただおっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます」と言って、イエスさまの言葉を求めたのでした。イエスさまが「治れ」とおっしゃれば「治る」と信じた百人隊長の信仰をみて、イエスさまは「イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」と感心されました。そうして「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように」という言葉を百人隊長におっしゃっただけで、僕はいやされたのでした。神さまの言葉の力を信じる、ということを教えてくれた百人隊長です。

使徒言行録という書物に出てくる百人隊長は、名前もわかっていて、コルネリウスといいます。この人がイエス・キリストを信じる者となった経緯について、使徒言行録は2度、3度と繰り返し記していて、キリストの教えが、ユダヤ人だけでなく、異邦人たちにも広まっていくことになった大きな出来事として、扱われています。コルネリウスは、使徒言行録によれば、「信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈って」いる人でした。ペトロを迎えて、イエス・キリストについて話を聞こうと、家に親類や親しい友人を大勢呼び集めて待っていました。ペトロは、旧約聖書に基づいてイエス・キリストについての証しを語り続けていたときに、コルネリウスたちは聖霊を受けて、イエス・キリストを信じる者となったのです。ユダヤ人のように聖書を詳しく知らない異邦人にも、聖霊が注がれて、聖書の言葉を聞いてイエス・キリストを信じることができるようになる、ということを示してくれた百人隊長です。

3番目にお話したい百人隊長は、イエス・キリストの十字架刑を執行して、その死を見届けた張本人です。この百人隊長は、十字架刑の一部始終を見ていましたが、最後に、イエスさまが大声を出して息を引き取られたとき、イエスさまの方を向いて、そばに立っていました。そしてこの百人隊長は、イエスさまがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言ったそうです。「本当に、この人は神の子だった」という言葉は、ローマの百人隊長が言うには非常に危険な言葉です。なぜなら、当時のローマ世界で「神の子」といえば、それはローマ皇帝のことだったからです。ですから、ローマ皇帝以外の人間について、「この人は神の子だった」と言うことは、反逆になるではありませんか!けれどもこの百人隊長は、イエス・キリストの十字架の真ん前に立ったとき、そんな懸念は一切吹き飛ばされて、「この人は神の子だった」という告白を、イエスさまの前でしたのです。十字架を遠巻きに見ているだけでは、心に何の変化もないかもしれません。しかし、この百人隊長は、十字架の真正面に立ったとき、つまり、イエスさまが目の前で死んでしまって、イエスさまを殺してしまったのはほかでもない、この私だ、と思ったときに、イエスさまからのものすごく大きな力が働いて、「本当に、この人は神の子だった」という告白へと導かれました。本当に従うべき王はこの方だ、と、百人隊長は悟ることになったのです。ローマ皇帝以外の人間を神の子というなんて、立場を考えたなら言えないはずの信仰の言葉を言えるようにしてくださる、イエスさまからの大きな力があることを教えてくれた百人隊長です。

ローマ軍の百人隊長というだけでも、勇ましそうで頼りになるイメージですが、信仰の面でも大切なことを教えてくれた百人隊長です。神さまの言葉の力、聖書の言葉とともに働く聖霊の力、十字架の真正面に立ったときに私たちの心に働くとんでもなく大きな力。百人隊長に働いた力は、今も働き続けています。それを確かめに、皆さまもどうぞ教会の礼拝にいらして下さい。

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