クリスマスの喜びは続く

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聖書の言葉

今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。

新約聖書 ルカによる福音書 2章11節

川瀬弓弦によるメッセージ

弓弦:メリークリスマス。恵泉教会の牧師の川瀬弓弦です。

エダ:Boldog Karacsonyt! (クリスマスおめでとうございます。)妻の川瀬エダです。

弓弦:先週から2回に渡ってエダさんの故郷である、ウクライナの村のクリスマスについて話しを聞かせて頂いています。今朝もよろしくお願いします。

エダ:よろしくお願いします。

弓弦:先週はクリスマスの準備の時、アドベントについて話しましたが、今朝はクリスマスそのものについて聞かせてください。

エダ:まずクリスマス・イブの話しをしましょうか。日本もアメリカもそうですが、クリスマス・ツリーはだいぶ前から飾り付けしますね。でも村では飾り付けはクリスマス・イブと決まっています。毎年必ず本物の若いモミの木を買ってきます。それに日本ではクリスマスが終わるとすぐに片付けてしまいますが、あちらではクリスマスが終わってもしばらくはそのままにしておきます。

弓弦:教会ではどんなことをしますか?

エダ:教会ではクリスマス・イブからクリスマスの次の日まで、3日間続けて礼拝を持ちます。この時期には普段教会に来ない人たちも大勢来ます。日本の教会のように毎月聖餐式があるわけではありませんので、クリスマスに持たれる聖餐式は特別です。

弓弦:私たちは以前、東ヨーロッパにあるルーマニアという国に住んでいましたが、クリスマスと言えば子どもたちによるキャロリングを思い出しますね。

エダ:そうですね。私の村でも礼拝が終わると、子どもたちが沢山の家をまわってクリスマスの歌を歌います。玄関先の時もありますが、中に入れてくれることもあります。そうするとお菓子やケーキをもらえるんですよ。だからクリスマスの時期はあまりダイエットには向いていません。

弓弦:それは困りますね。ルーマニアでは夕方から次の日の朝まで歌い続けていたことを思い出します。それではエダさんに、村で歌うクリスマスの歌を賛美して頂きます。

歌:キャロリング・メドレー

「Dicsoseg mennyben an Istennek」

Dicsoseg mennyben az Istennekいと高き方、神に栄光あれ。

Dicsoseg mennyben az Istennekいと高き方、神に栄光あれ。

Az angyali seregek vigan igy enekelnek天の軍勢は喜び歌う。

Dicsoseg, dicsoseg Istennek. いと高き方、神に栄光あれ。

「Pasztorok, pasztorok orvendezve」

Pasztorok, pasztorok orvendezve羊飼達は、羊飼達は喜び

Sietnek Jezushoz Betlehembeイエスに会いにベツレヘムへと行く

Koszontest mondanak a kisdednek赤ん坊を喜び崇めるために

Ki valtsagot hozott az embernek.人々に救いをもたらした方を

弓弦:今賛美してくださった歌の意味を教えてください。

エダ:最初の曲はルカによる福音書2章14節の御言葉から取られた歌です。「いと高きところには栄光、神にあれ」。村ではいつもこの曲をクリスマスの日に教会で歌います。二番目の曲は、生まれたばかりの赤ん坊イエスを訪ねていった羊飼について賛美した歌です。お生まれになった赤ん坊イエスが、世界に約束された救い主だと知って喜んで訪ねていった、ということを歌っています。

弓弦:最後に村で育ってきたエダさんにとって、クリスマスにはどんな意味があるか教えてください。

エダ:先ほど言いました通り、村ではクリスマスが過ぎてもツリーは片付けないで、しばらくそのまま家の中に飾っておきます。それはクリスマスの喜びがずっと続いている、ということを表わしているのです。もちろん木が枯れ始めたら片付けなければなりませんが・・・。一人の赤ん坊としてお生まれになったイエス様は、ずっと赤ん坊であったわけではなく、大きくなり、成長して神様の救いの業を成し遂げてくださいました。私たちの罪を負って、私たちが受けるべきであった罪の罰を引き受けてくださり、神様と私たちの間に和解を与えてくださいました。クリスマスはクリスマスだけで終わってしまうものではないのです。クリスマスから始まったイエス様の歩みは、十字架へと続く道、そして最期には復活の栄光に続く道へとつながっていくものです。

弓弦:おっしゃる通りです。クリスマスの喜びは、イエス様がそうやって十字架そして復活へと歩んでくださったからこそ与えられた喜びです。このようにイエス様は、ご自身の苦難を通してクリスマスを喜びの始まりとしてくださったのですね。ありがとうございました。

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