ゼロになる勇気

ラジオ放送 キリストへの時間のトップページへ戻る

聖書の言葉

主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。

旧約聖書 詩編 23編1節

保田広輝によるメッセージ

今朝お読みした聖書の御言葉に「主は羊飼い」とあります。これは神様が羊飼いで、私がその世話を受ける羊だということです。羊の習性を調べてみると、第一に羊は臆病です。群れからはぐれてしまった羊を捕まえようとすると,不安と恐怖心で逃げてばかりで捕まえられないそうです。第二に迷いやすい。羊は羊飼いに連れられて毎日行き来している道を自分では行きも帰りもできず,すぐ迷ってしまうそうです。第三に頑固です。羊は従順な反面、頑固で,羊飼いに逆らって自分勝手に進んで行き,群から離れて危険なところに行って自滅するという習性をもっているそうです。ですから、世話をする羊飼いが必要なのです。羊は人間そのものの特性をたとえる家畜として聖書に登場します。羊は存在のすべてを羊飼いに負っています。羊は羊飼いから離れては生存と防衛の保障はありません。「主は羊飼い」というのは、自分が弱い羊であること、羊飼いである神様がいなくては決して平安に生きられないことを知っている告白です。また、「わたしには何も欠けることがない」というのは、神様との親しい交わりの中で豊かに満たされている告白です。神様は良い羊飼いですから、私たち羊はこの告白ができるのです。

でも、「わたしには何も欠けることがない」と思うことはなかなか難しいですよね。むしろ、人生の中で「欠け」を感じる人は多いと思います。不足する。乏しさを感じる。何かを失っていく。何かが奪われていく。できたことができなくなっていく。そのようなことが人生でいくらでも起こります。最後は地上の命さえも失うことになります。進行性の不治の難病を抱えている私は、指以外は全く自由に動かせない身体で、人工呼吸器で生きていますし、医学的には今後さらに症状が悪化して、残り約13年で死ぬだろうと言われています。進行性の難病だから、以前は当たり前のようにできていた事ができなくなります。それが死ぬまで繰り返されます。他人から見れば、当たり前の人生から脱線したように見えてしまうでしょう。でも、本来は人生に当たり前なんて何ひとつないんですよね。得たものをいつ失うか分からないから、いつまでもしがみつこうとし、悩み苦しんでしまう。他の人はこれを持っていることが当たり前なのに、自分には無いって、無くすことが恐いって思うから、他の人と比べる生き方が続いてしまう。だから、人はゼロになる勇気が必要なのです。もし得たものを失ったなら、もしできていたことができなくなったなら、確かに苦しみます。でも、失った後なのに、失う前の自分の価値観で物事を考えてしまうから、自分を追い詰めてしまうのです。だから失ったのなら、今まで抱えていた価値観を降ろし、ゼロになる勇気を持って、新しい価値観で生きていく必要があるのです。

ヨハネによる福音書10章10節~11節で、主イエス・キリストは「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」と言われただけでなく、事実そのことを実行して下さいました。人間は必ず死にます。しかしそれには理由があるのです。死の原因は、人類の代表であるアダムとイヴが神様に対して犯した罪の結果なのです。しかし、主イエスはその罪の罰を私たち人間に代わって引き受けるために、私たちを罪から救うために、十字架に死んで下さいました。そして3日目に死を克服し、復活されたのです。主イエスが自分の罪のために死なれ、墓に葬られて、3日目に復活されたことを信じる人は、罪赦され、死んで復活し、永遠の命が与えられるのです。

今までの生き方を変えることはとても難しいですが、クリスチャンはゼロになったとしても、永遠に失われない神様の救い・復活の希望・永遠の生命を信じているし、神様が日毎に生まれ変わらせてくださるという永遠に揺るがない価値観を信じているから、神様の導きによってゼロになる勇気を持つことができるのです。

第2次世界大戦中に多くのユダヤ人をナチスから救ったオランダ人クリスチャン、コーリー・テン・ブームという人は、「世の中に目を向ければ、悩みが増すでしょう。自分の内側をのぞいてみても、落ち込むだけです。しかし、あなたがキリストを見上げる時、心に安らぎが与えられるのです」と言いました。私たち人間は、自分で悩みや重荷を背負うことはできないのに、無理に背負おうとして疲れ果ててしまいます。悩みや重荷は主イエスが背負ってくださいます。自分で悩みや重荷を背負うことは辞めて、私たちを罪と死から救ってくださった主イエスを信じて見上げることで、平安に生きることができるのです。

人は弱い羊です。羊飼いである神様がいなくては決して平安に生きていけません。だからこそ、「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」と告白できるのだと思います。

それでは最後に、シンプルシープで「主と私 (詩篇23)」という賛美をお聴きください。

【歌詞】

羊飼いの主

イエスは良い牧者

羊の私は

乏しいことがありません

死ぬほど嘆く

ことなどないのは

愛であるイエスが

私とともに歩んでるから

私の杯 あふれてる

豊かな恵みに 満たされてる

私のたましい 生き返る

神の義の道に 導かれてく

関連する番組