自分の秤を捨てよう

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聖書の言葉

また、彼らに言われた。「何を聞いているかに注意しなさい。あなたがたは自分の量る秤で量り与えられ、更にたくさん与えられる。25 持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。」

新約聖書 マルコによる福音書 4章24~25節

吉田謙によるメッセージ

イエス様は、多くのたとえ話を語られました。たとえ話というのは、誰もがよく知っている身近なものや事柄を用いて語られます。今、お読みしました聖書の箇所も、そのイエス様が語られたたとえ話の一部です。イエス様は「あなたがたは、自分の量る秤で量り与えられ、更にたくさん与えられる」と言われました。私たちは、自分の内に秤を持っていて、自らが見聞きしたことを受け入れる時に、それをその自分の秤で量っている、と言うのです。聞く価値があると判断すれば、大きな秤で量り、それを受け入れます。しかし、それ程聞く価値がないと判断すれば、小さな秤で量り、簡単に受け流してしまう。そのようにして私たちは、真剣に聞くべきこととそうでないことを、自分の秤で量り、判断しているのです。そして私たちは、イエス様が語られるお言葉も、同じようにして、自分の秤で量っていることがあるのです。ここで重要なのは、神様の救いは、自分の量る秤で量り与えられる、ということです。この後、イエス様は「持っている人は更に与えられ、持っていない人はもっているものまでも取り上げられる」と非常に厳しいことを語っておられます。けれども、結局これは、その自分の秤に見合ったものしか与えられない、ということが言われているのでしょう。どこかで私たちは、イエス様の救いを値踏みして、安っぽいものにしてしまっているのではないでしょうか。その時に私たちは、イエス様の十字架の恵みの多くを、受け取り損ねているのです。

では、神様が与えてくださるこの大きな大きな恵みを取りこぼすことなく、そのままに受け取るためには、いったいどうすればよいのでしょうか。それは自分のはかり秤を捨てて、イエス様をしっかりと見続けることです。

宝石が本物であるかどうかを鑑定する仕事があります。その鑑定のための能力を養うために、まず何をするかと言いますと、徹底的に本物だけを見続ける、本物についてあらゆることを知り尽くす、ということだそうです。そうすることによって不純物や偽物を見分ける能力がついてくる、と言うのです。本物と偽物とを区別しながら、その違いを見ていくというよりも、本物だけを見続ける、本物を見つめる目を養う、それが鑑定する人の最初の訓練なのだ、と言うのです。私たちの信仰についても、これと同じことが言えるのではないでしょうか。本物を見分けるためには、まず徹底的に本物を見続けること、即ちイエス様を見続けること、イエス様のお言葉を聞き続けることです。

このイエス・キリストを見続け、そのお言葉を聞き続ける時に、そこで見えてくる中心点は、何と言ってもあの十字架の愛でありましょう。この愛は、逆らう者をも愛し抜き、罪人を義人へと造りかえる恵みのご支配として鮮やかに現されました。

宗教改革者ルターの書いた、ある過ちを犯して、ひどく落ち込んでいる牧師に宛てられた手紙が、今でも残されています。イエス・キリストの十字架の愛、十字架の恵みが本当によく言い表されている慰め深い手紙です。ルターは、その手紙の中でこういう意味のことを語っているのです。「キリストは小さな罪しか赦すことの出来ないお方だろうか。あなたは絵に描いたような救い主を得ようとしている。キリストの救いを絵空事にしようとしている。それは大きな勘違いである!あなたは呪われるべき罪人だ!自分の力で藻掻いても、そこから抜け出せるわけがない。キリストはそのような罪を贖うために来られたのではなかったか!だから、もっと罪人であることに習熟していただきたい!」ルターはこう語るのです。

私たちは、日毎に、知っていながら、また知らず知らずの内に多くの罪を犯してしまう愚かな者たちです。しかし、そういう私たちのとんでもない罪を贖うために、イエス様の十字架はありました。「こんな自分は救われっこない!」「もう駄目ではないか」と考える。これはイエス様の十字架を見くびるということです。ルターの言葉を借りるならば、イエス様の救いを絵空事にすることです。イエス様の救いは、立派な人間のほんのささいな罪だけを赦すというのではありません。そうではなくて、イエス様の救いは、イエス様を十字架に追いやった人たちをも赦し、愛し、「私の十字架はそんなあなたを救うためにもあった」と言ってくださるほどに、スケールが大きいのです。ここにしか私たちの立つべきところはありません。ここ以外に私たちの救いはないのです。

神様の恵みの力を侮ってはなりません。自分の秤ではなく、神様の秤に身を委ねて、ただひたすらに神様の御言葉に耳を傾けたいと思います。その時に、自分の目で見ている自分が本当の自分なのではなくて、神様が見てくださる自分こそが、本当の自分であることに気づくことでしょう。

「あなたは本当の自分が見えていない。確かにあなたには醜さもあるし、弱さもある。暗い生活があり、否定的な考え方があり、冷たい心もある。私はそのことをちゃんと知っている。しかし、それは決してあなたの全てではない!あなたの最も深いところには、本当のあなたがいるではないか!神様に造られた素晴らしい可能性を秘めたあなたがいるではないか!!今は誰にも見えていないのかもしれない。けれども、掛け替えのない、素晴らしい可能性をもったあなたが、私には見える。早く、そのあなた自身に気づいて欲しい!そして、あなたはあなたらしく輝いて生きて欲しい!!」イエス様は、自らの命を犠牲にしてまでも、私たちに近づき、こう語りかけて下さるのです。どうか、自分の秤を捨てて、この神様の驚くべき恵みに身を委ねていただきたいと思います。

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