あなたの信仰があなたを救った

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聖書の言葉

女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」

新約聖書 マルコによる福音書 5章33~34節

後藤公子によるメッセージ

お元気でいらっしゃいますか。後藤公子です。

今日登場する女性は12年もの間出血が止まらない病に侵されていました。出血が続くということは、極度の貧血状態が続くということです。脱力感でベッドに横たわって日々を過ごしていたことでしょう。発病してから12年の間に症状は重くなっていきました。何も手を打たないで悪化していったのではありません。治りたい一心で多くの医者にかかりました。その治療は非常に苦しいものでした。少しでも快方に向かっているという兆候があれば苦しい治療にも耐えられます。しかし苦しい治療は全く効果がなく、悪化の一途をたどっていきました。全財産を治療のために使い果たし、経済的にも困窮状態に陥ってしまったのです。

この病はまた別の苦しみを引き起こしていました。旧約聖書の律法には、出血中の女性は汚(けが)れている、と記されています。この場合の汚れというのは、衛生面での汚れではなく、宗教的な汚れです。出血が続いていたので、彼女は宗教的に汚れた者とみなされ続けました。彼女が触れる物は汚れた物とされ、また、それらに触れる人は汚れた者とみなされました。当然みんなが参加する宗教的行事にも参加できず、交わりから疎外され、孤独のなかで病気と闘うことを余儀なくされていました。

それはまさに絶望との戦いでした。しかし神さまはそのような彼女を決してお忘れになっておられませんでした。真暗闇の中でもがいていたとき、一筋の光が差し込みました。どのようにしてかはわかりませんが、主イエスが多くの病人を癒されたことを聞いたのです。信仰は聞くことから始まります。

そのとき彼女は、「この方の服にでも触ればいやしていただける」と信じました。主イエスの服に病を治す力がある、と迷信的に信じたのではなく、イエスという方はだれにも治せなかったこの病を、服に触るだけで癒すことがおできになる、と信じたのです。それはイエス・キリストご自身に対する信仰であり、服に触るという行為は、その信仰の表現でした。

大勢の群衆が主イエスのあとに従い押し迫っていました。彼女はその群衆にまぎれ込み、気づかれないように、後ろからそっと服に触りました。正面切って「私を癒してください」と言えなかったのは、汚れた者としての気おくれがあったからでしょう。しかしそうであっても彼女の信仰は確かに働き、服に触れたその瞬間、すぐに出血が止まって病気が完全に癒されたことを体で感じました。

主イエスはそのとき、ご自分の内から力が出て行ったことに気づかれて「わたしの服に触れたのはだれか」と尋ねられました。弟子たちは、こんなに群衆が押し迫っているなかで、そんな質問をされることが理解できませんでした。故意にではなくても、触れてしまうことはあり得るからです。

しかし主はだれが触れたかを見つけようと群衆を見回しておられました。主は彼女のことをおわかりだったと思います。しかし彼女が自ら名乗りでて、ご自身に対面することにこだわられました。彼女を人前で恥ずかしめようとされたのでしょうか。それはあり得ません。ひとつの理由は、外から治ったか治らないかわからない彼女の病が完全に癒されたことを、人々の前で公に宣言して、他の人々との交わりを回復してあげるためだった、と思われます。

しかしもっと大きな目的は、救い主であるご自身に対面するように、と彼女を招かれることでした。彼女は病の癒しを求めました。しかし主イエスは癒し主であるご自身と人格的に対面することを求められたのです。彼女はそのとき気付いていませんでしたが、実はそれが彼女にとって最も必要なことでした。

震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話したとき、主は言われました。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」その瞬間、それまでの彼女の苦しみは吹き飛んだことでしょう。人々に避けられ、肉体的にも精神的にも一人で、それほど長く苦しまなければならなかった彼女に、主は個人的に、また人格的に向き合あわれ、慰めと励ましの言葉をかけられたのです。

この言葉は、主イエスが彼女の救い主であられることを自ら宣言なさったことを意味します。彼女は光の全く見えない絶望的状況の中で、救いの望みをただイエス・キリストに置きました。そしてその信仰のゆえに肉体だけではなく、魂も、彼女の全存在を救われたのです。「娘よ、安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい」という主の言葉は、この女性が身も魂も救われた者として新しい人生を踏み出すようにとの恵み深い招きでした。

聖書は彼女のその後について何も語っていません。しかし救いの恵みに感謝し、変えられた人生を生きたということは想像に難くありません。彼女は決して例外的な存在ではありません。実は、私たちも救い主と出会うことなしには、まことにみじめで望みのない者です。生きる目的を知らず、霊的に病み、汚れ、醜く、罪のゆえに滅びて行く、まことに望みのない存在です。イエス・キリストは、そのような私たちを救うために来て下さいました。ご自身を信じる者を例外なく救ってくださり、無益な者を有益な者とし、健やかな人生を生きることができるようにしてくださる救い主です。あなたも今招かれています。

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