サイモンとガーファンクルの~明日に架ける橋~より

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聖書の言葉

そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」

新約聖書 ヨハネの黙示録 21章3~4節

吉田実によるメッセージ

今回は私の大好きな曲をご紹介しながら、聖書のお話をさせていただきたいと願っています。本日は、サイモンとガーファンクルが歌いました「明日に架ける橋」という曲についてのお話をさせていただきます。

サイモンとガーファンクルは、1960年代を中心に活躍いたしましたポール・サイモンとアート・ガーファンクルによるフォークデュオです。「サウンド・オブ・サイレンス」とか、「スカボロー・フェア」とか、たくさんのヒット曲を生み出した二人ですけれども、この「明日に架ける橋」という曲は1970年に発表されるや否や、全米シングルチャート6週連続一位を記録し、その年のグラミー賞を6つも取りました。多くの人々の心に響いた名曲なのです。

ポール・サイモンが作りアート・ガーファンクルが歌ったのですけれども、この曲をどちらが歌うかとか、3番の歌詞をどうするか、というようなことをめぐって二人の意見は対立して、結局その後サイモンとガーファンクルは活動を中止してしまうのです。そういう残念な出来事も生んだ曲なのですけれども、でもこの曲は多くの人々に慰めと励ましを与え続けてまいりました。

そもそもこの曲が生まれた時代はベトナム戦争をめぐる反政府運動や公民権運動などが起こり、その中で政治家ロバート・ケネディや公民権運動の指導者であったキング牧師が暗殺されるなど、アメリカ社会が揺れ動いた時代の中で作られました。そのような不安や痛みの中で、この曲は多くの人々の心に慰めと励ましを与えたのです。またこの曲はアレサ・フランクリンという黒人の女性歌手によってカバーされ、当時アパルトヘイトによる差別に苦しんでいた南アフリカの黒人の人々の心にも届きました。そしてやがてこの曲はアパルトヘイト撤廃運動には欠かせない曲となり、南アフリカの教会では今でもこの曲を讃美歌として歌っている教会があるそうです。そんな「明日に架ける橋」という曲はこういう歌詞の曲です。

時間の関係で、1番と2番をご紹介いたします。「あなたが疲れ切って、自分が小さく感じられるとき、あなたの目に涙があふれる時、わたしがぬぐってあげよう。私はあなたのそばにいる。あなたが苦しい時には荒波の上に架ける橋のように私がこの身を横たえてあげよう。あなたが落ちぶれて路上で生活するようになり夕暮れの寒さがひどく身に染みる時私があなたを慰めてあげよう。私があなたの味方となり、夜の闇が訪れそして周りのあらゆることが苦痛であっても、荒波の上に渡す橋のように私がこの身を横たえてあげよう。荒波に架ける橋のように私がこの身を横たえてあげよう。」こういう歌詞です。

この歌詞の中に出てくる「私」が、もしもただの人間であったとしたら、それは随分と偉そうな歌になってしまうのではないかと思います。けれども、ポール・サイモンはそういう気持ちでこの曲を作ったのではないと思います。なぜなら彼はこの曲を、教会で聞いたあるゴスペルソングに触発されて作ったからです。

ポール・サイモンがまだ無名の時、ハーレム地区の教会の中で聞いたゴスペルソングの中にこういう歌詞があったそうです。「あなたが私の名において信じるなら、私は深い海の上に架かる橋になってあげよう。」それは荒れ狂う湖を渡って恐れる弟子たちのところに来てくださったお方、私たちを救うために十字架の上に身を投げ出してくださって天国への架け橋となってくださったお方、そしてやがては私たちの目の涙をことごとく拭い取ってくださるお方、イエス・キリストのことをうたったゴスペルソングだったのです。

この曲を作ったポール・サイモンも、歌ったアート・ガーファンクルも、またそれを聞いて深い慰めや励ましを受けた人々の多くも、きっとそういう曲として理解したに違いない。私が人生の嵐に遭う時にも、その身を横たえてくださって「私の上を渡って行け」とおっしゃってくださる方がおられる。やがて私の目の涙を全部拭ってくださる方が共におられる。そういう歌としてこの歌は歌われ続け、聞かれ続けて来たに違いないと私は思うのです。

サイモンとガーファンクルはその後ずっと喧嘩別れをしたわけではなくて、やがて時々一緒に活動するようになります。その時には、この「明日に架ける橋」を1番はアートが歌い、2番はポールが歌い、三番は一緒に歌ったそうです。この曲は、一度は嵐に隔てられてしまった彼ら二人をつなぐ架け橋ともなったのです。この曲の中に込められている、御自身の身を投げ出してまで私たちを救おうとしてくださるイエス・キリストの愛が皆さんの心にも届くとき、皆さんもまた、嵐によって隔たれている、誰かと誰かの間をつなぐ、「明日に架ける橋」となれるかもしれません。

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