人の命は短いのでしょうか

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聖書の言葉

あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分らないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎません。

新約聖書 ヤコブの手紙 4章14節

城下忠司によるメッセージ

人は将来を予測することや予知することはできません。この与えられた命について私たちは将来起こってくるであろう、あらゆる生活の出来事、たとえどんな嵐が襲っても、それに立ち向かうことの出来る自分であると、信じて生きているのではありませんか。なんとかなるという安全神話をいだいて生きているのではないかと思います。

さて、皆さんは高知県の香美市に吉井勇記念館があることをご存じでしょうか。ご存じの方は少ないと思います。吉井勇という歌人が3年間隠棲生活を送り、再起したという場所に古い二階建ての小さな民家がありました。19年前この家が宿泊できることを知り、家内と伯母二人を伴って一泊したことがあります。

この有名な吉井勇という方が「ゴンドラの唄」の作者であることを知っていましたので、この民家のことが新聞の案内で紹介されていたのを見て、一度行ってみたいという興味から出かけたのでした。

「ゴンドラの唄」が出来たのは大正四年で、芸術座講演の中で松井須磨子さんという女優が歌って有名になりました。そのずっと後になって、戦後間もない頃、映画監督の黒沢明が『生きる』という題の映画を撮りました。その中で初老の紳士に扮した志村喬という俳優が、公園のブランコでぼそぼそと「ゴンドラの唄」を歌って死んで行くシーンに観客は感動し、再びこの唄が有名になりました。この唄は今まで沢山の歌手が歌いました。森繁久弥、小林旭、美空ひばり、鮫島有美子さんたちです。

少し『生きる』の内容を紹介します。

癌のため余命四箇月位との宣告を受けた市役所の市民課長、彼は習慣的に生き、本当の生きる意味を考えることなく、機械的に山積みになった書類を処理して30年ただ判子を押すだけの毎日でした。しかし、死の宣告を受けてから、市民からの古い陳情書を取り出し、下町の低地を埋め立てて、小さな児童公園を作ることに挺身して死ぬというものです。主人公は自分の命の限りを知り、短い命であっても、自分の残された命の生きる道を知りました。

この映画の最後の方で、雪の降る児童公園で一人ブランコに乗りながら「ゴンドラの唄」を口ずさんで死んでゆく、というシーンは見る者に深い感動を与えました。

ここで、志村喬の歌を聞いてみましょう。

♪音楽

実はこの「ゴンドラの唄」という題は内容とあまり関係ないような詞ですが、イタリアで「バッカスの歌」として歌われていたものとテーマが似ているそうです。また、この唄によく似た詩があって、アンデルセンの「即興詩人」に出て来るヴェネチア民謡がもとにあるのではとも言われています。ゴンドラという題名はヴヴェネチアをイメージして作られているようです。

「ゴンドラの唄」は4番までありますが、一般には1、2、4番が歌われます。

1番と4番の歌詞を読んでみましょう。

1いのち短し恋せよ少女(おとめ)

朱(あか)き唇褪(あ)せぬ間に

熱き血潮の冷えぬ間に

明日の月日はないものを

4いのち短し恋せよ少女

黒髪の色褪せぬ間に

心のほのお消えぬ間に

今日はふたたび来ぬものを

この歌を作曲したのは中山晋平という作曲家です。「砂山」「東京行進曲」などを作曲した有名な方です。彼は母危篤の知らせで長野まで行きますが、母は既に亡くなっていて、傷心を抱いて急ぎ東京に帰る列車の中で作曲したと云われています。亡くなる直前に母を東京見物させ、その折、「私にも歌える歌を作っておくれ」と言われたことを思い出しながら、「命短し恋せよ少女」という詩に若くして世を去った母の薄幸の人生を重ねたのではないかと言われています。

人の命の短さや、はかない命については、多くの詩人や哲学者などが書物に残しています。中でも記憶に残る有名な、ローマ皇帝に使えた政治家であり哲学に秀でていたセネカという人は『人生の短さについて』という書物を残しています。「一体何ゆえ君は安閑と構え、かくも素早く時間の去っていくなかで、悠長にも君の前方に長々と年月を延ばすのであろうか。」「我々は短い時間を持っているのではなく、実はその多くを浪費しているのである」とあります。

最初に読みました聖書は、「あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことはわからないのです。あなたがたはわずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎません」と書かれていました。人は明日のことは分からない。未来を予想することは出来ません。支配することなど、到底出来ません。

人は誰しも自分たちの命は安全なもの、自分のことは自分で出来ると考えているのではないでしょうか。そして、人は遅かれ早かれ必ず死が訪れるということを考えたくないと思っています。予期しない時に死はやってきます。『生きる』の主人公は自分の命の限りを知った時、かつては忙しい忙しいといいながら実際はなにもしていないことに気が付きました。そして、自分の本当の生き方を知りました。彼はやっと、空を見て美しいと何度もつぶやきます。人は神さまに生かされて、なすべきことを知らされて生きていけるのです。胃癌という病気になった主人公のことを友人たちはお通夜の席で、「十字架を背負ったキリストだね」と語ります。また、「自分たちも生まれ変わったつもりでやるよ!」と言う場面が印象にのこっています。

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