韓流妻の証し

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聖書の言葉

主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。

新約聖書 使徒言行録 16章31節

小中恵美子によるメッセージ

アンニョンハシムニカ?

私は現在、神戸改革派神学校に在学中の神学生、小中史郎の妻・小中恵美子です。

私は、今から32年前に韓国のソウルから日本人の夫を頼りに嫁に来ました。その頃は、まだまだ日韓の問題が厳しい時代でしたので、最近のような韓流ブームは想像もできませんでした。 まだ若かった二人は、愛するということだけで、両家の反対も押し切って結婚をしました。

しかし、日本に来たその日から、主人の両親と同居の生活が始まり、甘いはずの夢見た新婚生活は、異文化のカルチャーショックの連続でした。何よりも苦しいのは毎日3食を両親と共にすることでした。楽しいはずの食事の時間が、「また、何を言われるのだろうか」と不安の中で、いつの間にか食事の時間になると胃がちくちくと痛むようになりました。

皆さんはご存じですか。皮肉にも、日本の食事作法と韓国の食事作法はまったく反対です。日本ではお茶碗を手に持ち上げお箸だけでご飯をたべますが、韓国ではお茶碗はテーブルの上に置いたまま、スプーンでご飯と汁物を取り、お箸でおかずを取って食べるのです。これはそんなに大きな問題には思えないかもしれません。しかし、お行儀としては日韓では反対、つまりお行儀の悪い食事作法になるわけです。

礼儀を重んじる主人の両親は私のことが気になって仕方がありませんでした。しかし、大人になるまで国の親に教わり、躾けられた礼儀作法はそう簡単には直りませんでした。こちらの親にしてみれば、日本人の嫁として不格好で気になることばかりだったようです。いつしか、国に帰りたい、現実の生活から逃げたい思いでした。

なぜ、私は結婚をしたのだろうか。なぜ、こんなにも近い国なのに文化が違うのか。なぜ、両親は私が日本人でないのが受け入れにくいのだろうか。過去の日本と韓国はそれほどに仲が悪かったのか。なぜ、私は愛する人の親を心から愛することが難しいのか。自分を責めたり、主人を責めたり・・・。 暗い顔で、心と体は病んで行きました。ただただ、忍耐してこらえていきました。

子供が二人できてからは教育の問題にもぶつかり、とうとう耐えられなくなった私は、まだ乳飲み子であった赤ん坊と2歳の娘をつれて家を出てしまいました。それから、まるで泣き面にハチのようなことが続きました。そんなことが起こるたび、主人の両親を憎み、その心はいつの間にか日本人全体を敵に回している自分がいました。(ごめんなさい!)

日本人の夫を愛した自分はどこに行ったのか。 自分が思っていた愛はどんな愛だったのか。 子供は私がお腹を痛めて生んだ日本人ではないか。この子供を愛する愛はなんだろうか。 日本が嫌いで主人と離れるなら、子供たちは一生自分の存在の行き場がなく、恨むのではないか。本当に途方に暮れました。心にはいつも怒りといら立ちで、何もする気になれず、すべてが否定的で悲しい、憂鬱な思いでした。

そんなある日、すっかり忘れていた教会のことを思い出しました。子供の頃、友たちに誘われていき、クリスマスには聖誕劇やプレゼントを楽しみに行ったことがありました。懐かしさを覚え、勇気をだして教会を訪ねて行きました。優しく迎えてくださった、教会の姉妹の顔を見た瞬間、止めどもなく涙があふれました。何も言わなくても、私のことを解ってもらえたような安心感と平安がありました。

それから毎週、子供たちを連れて教会へと行きました。 礼拝の中、主の祈りのところで、「・・・われらに罪をおかす者をわれらがゆるすごとく、われらの罪をもゆるしたまえ」と祈りながら私はまた泣いていました。 子供の頃、教会で聞いていたお話では、イエス様は神様なのに十字架にかかって死なれた、意味がよくわかりませんでした。 それが、このとき、私の罪のために死なれたのだと、胸にしっかり伝わってきました。 イエス様はこんな自己中心的な愛で生きようとする情けない私を赦してくださるために死なれたのだ。 人をゆるすことが出来ず、罪に悩み苦しんでいる、私を救うために身代りになられて、永遠の愛の命と希望を与えるために十字架でゆるしてくださったことがわかりました。

申し訳ない思いで、心から罪を悔い改めました。感謝であふれ平安のうちにイエス様を信じ、これからの人生をイエス様と共に歩もうと決心して洗礼を受けました。それから、私の心は毎日わけもなく嬉しくなりました。それまでに重たくて息苦しかった心が、軽くなっていたのが不思議でなりませんでした。周りの環境が変わったわけでもないのに、周りの人々が愛おしく感じました。このように新しい心に生まれ変わらせてくださったイエス様に、感謝な気持ちでいっぱいになりました。

この愛と、この救いの感謝を、一人占めでは勿体なくて、主人に話しました。 主人もイエス様の愛を受け入れ信じて、クリスチャンになりました。それだけでとどまらず、今や神様のお仕事に将来をささげるようになりました。主人のお父さんからも生前、キリスト様に自分の葬式をお願いしたいと言われていたので、天に召されたときは教会でお葬式をしました。お母さんも同じく一昨年、84歳でイエス様を信じて洗礼を受けました。今年のイースターには息子の嫁が洗礼を受けます。いつの間にか私は3人の孫のおばあちゃんになっています。

最後にもう一つの聖書の御言葉を紹介します。

「卑しめられたのはわたしのために良いことでした。わたしはあなたのおきてを学ぶようになりました。」 詩編119:71

皆様にもイエス・キリストの救いと平安の祝福をお祈りいたします。

お聞きくださって、ありがとうございました。カンサハムニダ!

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