命の光

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聖書の言葉

神はあなたにも苦難の中から出ようとする気持ちを与え、苦難に代えて広い所でくつろがせ、あなたのために食卓を整え、豊かな食べ物を備えてくださるのだ。(16節)

その魂を滅亡から呼び戻し命の光に輝かせてくださる。(30節)

旧約聖書 ヨブ記 36章16、30節

唐見敏徳によるメッセージ

いかがお過ごしですか。今週と来週の二回、番組を担当します忠海教会の唐見です。短い時間ですけれど、番組をお聞きの皆さまとともに、主の豊かな恵みを共有したく心から願っています。

12月に入りました。教会の最も大きな、そして最も楽しい行事のひとつであるクリスマスがもうすぐです。先週からアドベントに入っていますが、世界各地のキリストの教会で、アドベントリースやアドベントカレンダー、またそれぞれ思い思いの飾り付けがなされていることでしょう。

ご存じでない方のために簡単に説明しますと、アドベントとは、11月30日に最も近い日曜日からクリスマスイヴまでの約四週間のことです。待降節、あるいは降誕節とも訳されるアドベントという言葉は、もともとラテン語で「来る、到来する」という意味を持つ言葉に由来します。真の神イエス・キリストが、人となってこの世に来られたことを待ち望む期間、それがアドベントです。

この時期、街の情景もいつもより少し華やかで、楽しげな雰囲気に包まれます。ライトアップされたクリスマス・ツリー、プレゼントが詰まった袋を持つサンタ・クロース、スピーカーから流れる定番のクリスマス・ソングのメロディー。クリスマスプレゼントを心待ちにしている子どもたち(わたしの子どもたちもその中に含まれます)や、クリスマスを特別な日にしようと計画している若者たちにとって、それらはとりわけ快く感じられるでしょう。わたし自身は、子どもだった日々は遠くに過ぎ去り、若者といえる年齢を超え、かつてのような楽しみはなくなりましたが、その代わりにクリスマスプレゼントを喜ぶ子どもたちがいるという別の楽しみを味わっています。

けれども、クリスマスに向けての楽しいときに、華やぐ街のイルミネーションを眺めながら、ちょっと違うんじゃないか、と感じることがあります。そしてわたしが感じるこの違和感について、今回取りあげるヨブ記の主要人物であるヨブと彼の年若い友人エリフはきっと同意してくれると思うのです。

ヨブとはどのような人物だったのでしょうか。彼の人となりについて、ヨブ記は冒頭でこのように記しています。「ウツの地にヨブという人がいた。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた。七人の息子と三人の娘を持ち、羊七千匹、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭の財産があり、使用人も非常に多かった。彼は東の国一番の富豪であった。」また、エゼキエル書という別の書物は、ヨブを、ノア、ダニエルと並んで善人の代表として評価しています。ヨブは仕事、家族、財産、地位、あらゆる点で恵まれており、しかしそれによって傲慢になることなく、助けを必要としている人々に惜しみなく与え、何よりも神を畏れ敬う信仰者でした。

しかし、そのような彼に次々と不幸が襲いかかります。家族や財産、健康、周囲から得ていた尊敬、それまで彼が手にしていたものはことごとく奪い去られます。最初は、「わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」と語っていた彼も、絶え間なく彼を責め続ける苦しみの中で、やがて自分の生まれた日を呪うようになります。

「神はあなたにも苦難の中から出ようとする気持ちを与え、苦難に代えて広い所でくつろがせ、あなたのために食卓を整え、豊かな食べ物を備えてくださるのだ。」という言葉は、そのような苦難のただ中にあるヨブに対して、彼の友人エリフが語ったものです。いやま死ぬことが唯一の希望だと考えているヨブにも、神はその苦難を乗り越える道を備えて下さるとエリフは確信をもって告げます。

この言葉は神とはどのような方か、そしてどのようなことをなさるのかについて、わたしたちに極めて大切なことを教えています。聖書が語るまことの神は、わたしたちが苦難の中であえぎ苦しむことを決して望んではおられません。神は苦難にある人々を憐れみ、「その魂を滅亡から呼び戻し命の光に輝かせてくださる」(33:30)のです。

さて、街のイルミネーションを眺めながら感じる違和感というのは、それが本来クリスマス、そしてアドベントに輝く光とは異なる光のように思われるからです。街のイルミネーションは、どれほど美しくてもやがて消えゆく人工の光です。そのほとんどはクリスマス商戦のために飾られていて、クリスマスセールが終われば取り外されてしまうものです。そして客の目を引くことができなければ捨てられてしまうでしょう。

しかし、神がクリスマスに与えて下さった光、そしてアドベントの期間にわたしたちが待ち望むべき光はこれとは全く違います。聖書が語る光とは、クリスマスにお生まれになったまことの神かつまことの人である主イエス・キリストです。この光は決して消えることなく、わたしたちがどのような苦難の中にあっても、わたしたちの道を照らし続ける光です。たとえひとときわたしたちの目に光が感じられないことがあっても、それは雲のかなたで輝いていて、やがて風が吹いて雲をはらうと、再び光が射し込まれるのです。

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