豊かな人生の条件

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聖書の言葉

なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。

新約聖書 エフェソの信徒への手紙 2章10節

後藤公子によるメッセージ

お元気でいらっしゃいますか。後藤公子です。

よく「自分探し」をするということを聞きます。もしかしたら、この番組を聞いておられるあなたも、自分探しの最中かもしれませんね。

気がついてみれば、存在し、生きているんだけれども、どこから来て、どこへ向かっているのかわからない、今していることがどんな意味をもっているのかわからない、生きているという実感がわかない、虚しい、などと思われたことはないでしょうか。

そんなとき、私たちは自分探しをし、生きる意味を知ろうとします。それは人間の人間たるゆえんです。神が私たちを目的をもって造られたので、自然と目的を探し求めるのです。

私は高校3年のとき自分探しをし、訪ねた教会で聖書に出会い、真の自分に出会いました。自分を見つけることができたのは、創造主なる神の存在を知ったからでした。

聖書を通して出会った神は、生きておられる人格的な神で、私との交わりを望んでおられること、神は、前もって準備してくださった善い業を行わせようと、私を造られたこと、また、罪を犯し、神に背を向けている私の罪を赦し、ご自身との交わりを回復するために、独り子イエス・キリストを犠牲にされたこと、キリストを救い主と信じ受け入れるとき、神が父となってくださり、よいご計画をキリストを通して私の人生に実現させてくださること、などです。

偶然生まれてきて、偶然存在しているなら、人生に目的などないということになります。しかしそうではないのです。聖書は次のように言っています。「なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備して下さった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。」(エフェソの信徒への手紙2章10節)

生きる意味がわからず、無目的に生きているとき、さまざまな問題に直面し、出口をみつけることができなくなります。虚無的になり、簡単にいらいらしてしまいます。

人間は目的や意味なくして生きることができない者です。それは、神が人間を目的をもって造られたので、その目的に従って生きる時のみ、真に人間らしい生き方ができるからです。生きることの意味という根本的なことを知らないとき、虚しさを覚えます。欲望を満足させることで、その虚しさを埋めようとしても、その満足は一時的です。そこに真の満足はありません。

私は、インドネシアのカリマンタン島で、宣教師として働きました。カリマンタン島はまだ原始的な地域が多く、私が住んでいた村には、当時、電気も水道もありませんでした。そこはジャングルを切り開いてつくられた村で、周りはうっそうとしたジャングルでした。

私はその村に建てられていたキリスト教の養護施設の寮母として奉仕をしました。30余名の子どもたちと一軒家に住み、彼らへの伝道、生活指導をしました。両親がいない子、片親のいない子、あるいは親がいても貧しかったり、奥地に住んでいるため学校がなかったり、さまざまな理由で収容されていました。

その養護施設の目的は大きくいってふたつありました。ひとつは、子どもたちに学校教育を受けさせるためでした。そのような奥地では教育に関してまだ徹底されず、多くの子どもたちが教育を受ける機会を与えられないでいました。それで子どもたちが教育を受けることができるように、その施設は建てられました。

ふたつめの目的は伝道で、彼らを救い主イエス・キリストに導くことでした。また、信仰をもった子どもたちが、信仰において成長し、施設を巣立った後、神と隣人に仕える人間になれるように導くことでした。それこそ、その施設が建てられた最大の目的だったと言えます。

私が子どもたちに最も伝えたかったのは、彼らが神にかけがえのない存在として愛されていること、一人ひとりは、ユニークでオンリー・ワンの存在として、キリスト・イエスにおいて造られたこと、そして人生の目的は、神が前もって準備しておられる善い業を行うことであることでした。善い業は使命と言い換えてもいいでしょう。オンリー・ワンとしての使命を発見し果たすことが豊かな人生を生きるための条件です。

養護施設の子どもたちは貧しく、人間的に考えれば最低の環境のなかで生活していました。また親の愛を知らずに収容されてきた子どもたちもいました。

しかしそのような状況は決して彼らの人生を不幸にするものではないのです。父となって下さる人格的な神と、神が送って下さった救い主イエス・キリストに出会うことにより、有益で意味のある人生を送ることができるからです。

経済的な豊かさは、豊かな人生を歩む条件ではありません。この神に出会い、生かされている目的に従い生きることこそ、豊かな人生のために最も大切なことなのです。真の満足はそこから生まれます。

あなたはもう神に出会っておられるでしょうか。神ご自身があなたとの交わりを求めておられます。神は私たちの最も近いところにおられ、探し求める者にご自身を現してくださる方です。あなたも神の招きに応えませんか。

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