神様の御心を祈る

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聖書の言葉

秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。

新約聖書 エフェソの信徒への手紙 1章9~10節

城下忠司によるメッセージ

この世界にはあまりにも多い災いが存在します。病気、苦難、犯罪、殺人、争い、ねたみ、憎しみ、貧困、恥、嫉妬、暴虐、また、国々の争い、自然災害など、数多くの悲しみがあります。これらのものは、何一つとして、神さまの御心ではないのに、広く世界を覆っているのはどうしてでしょう。

いま、神さまの御心が世界において実行されるならば、あらゆる悲惨なことはなくなり、平和が世界を覆うことになるでしょう。

神さまは天地を創られ、支配し、御国の完成のためのご計画、すなわち御心をおもちですから、総ての人にとっては神さまの御心を知ることが必要なのです。私たちは一人一人異なる意志をもって生きています。ある人はこの世での成功、権力、また快楽、等をもとめます。さらには、はっきりした罪にすら向けられるように意志が働くことさえあります。

私たちの歩みが本当に神さまの栄光を求め、神さまを喜ぶことを望んで生きているのだろうかと考えるとき、神さまの御心を行なっていない自分を発見します。

一方、真理の神さまに心を向けたとき、神さまが、私たちのために、御心を注いで、私たちを導いていてくださっていることを知ることができます。

キリスト者は皆、父である神さまの御心は、完全で全く善であることを知っています。この神さまの御心が地上で行なわれるまでは、神さまの御名がこの地上であまねく崇められるまでは、神さまの御国は遠いということであります。ですから、私たちは神さまの御心を知って、その御心を抱き締めて喜びと感謝をもって、『わたしの神さま、あなたの御心を行うことを私は望みあなたの教えを胸に刻んであなたを賛美したい』と願うのではないでしょうか。(詩編40編9節から。)

神さまの御心がこの地上で行なわれますように、という祈りは、キリスト者でなくても、誰でも捧げることが出来る最高の祈りです。

神さまは私たちの愛する天の父です。このお方の本質は愛そのものであります。神さまは、無限の知恵と力を持っておられます。

人間は自分の能力を過大評価します。また、人間の愛情もどんなに強いものであると思っていても、無力なものにすぎません。しかし、弱い私たちであっても、イエスさまが弟子のパウロに示された次の御言葉に励まされます。

「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。」(コリントの信徒への手紙二12章9節)

私たちは、しばしば神さまの御心に反抗するように悪魔によって試みられる者です。しかし、父なる神さまは誤るということは決してありません。したがって、私たちへの愛においても害となるようなものを与えることはなく、ただ美しく、正しく、完全なお方であります。また、神さまの御心は総て良いものであることを知っています。

「みこころがおこなわれますように」という祈りは、イエスさまが弟子たちに教えてくださった祈りです。この祈りは「あなたのみこころを受け入れるように私を助けてください」というのではなくて、「あなたの御心を行なうように私を助けてください」という祈りなのです。私たちはどうしたら神さまの御心を行なうことができるでしょうか。

私たちは、それぞれに神さまの御国を少しばかり、頂いています。神さまの国のわずかな部分が、この世で預けられていることを知っています。このことは、私たちの人生のあらゆる瞬間に、神さまの御心のわずかの部分が与えられるということです。私の人生は一時的な願いやあるいは虚しい衝動によって左右されているのではないか。それとも、天の神さまの聖い(きよい)御心によって左右されているのだろうか。立ち止まって、静まって、一人一人が考える時が必要です。『あながたがたは聖なる者となれ、わたしは聖なる者だから』とのイエスさまの声が聞こえてきます。聖なる者になるということは、愛する者になるということでしょう。

私たちは生きている間は、完全な愛の人になることはできません。死を前にして一人のキリスト者が祈りました。「私のような信仰の薄い者、汚れ多き者、本当に愛の薄い者ですが、聖なる者になれるようにしてください。神さまどうかあなたの許に、あなたの御国に受け入れてください。」忘れられない祈りです。

私たちにできることは、私たちの前に置かれている競争を「神さまの御心を求め、御心を行ないつつ」走り続けることであります。

『実に神の御心は、あなたがたが聖なる者になることです。・・・・・・神がわたしたちを招かれたのは、汚れた生き方ではなく、聖なる生活をさせるためです』と聖書は語ります。(テサロニケの信徒への手紙一4章3、7節)

神さまの御心が最も鮮やかに示される聖書の言葉が、ヨハネによる福音書に示されております。『神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。』(3章16節)

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