父の家に帰る

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聖書の言葉

「そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。 ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。 もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』」

新約聖書 ルカによる福音書 15章17~19節

宮﨑契一によるメッセージ

皆さんは、映画をご覧になることはあるでしょうか。私は最近テレビで放映されている「男はつらいよ」のシリーズをよく観ることがあります。自分がまだ若い時にはそれほど観ることはなかったのですけれども、最近観てみると、面白いなあと思うのです。家族は良いなあと思います。

この映画に出てくる主人公の寅さんは、とても短気な人です。寅さんはいつも放浪の旅をしているのですけれども、家に帰って来ると必ずと言って良いほど、家族や近所の友達と小さなことですぐに喧嘩をして、もうこんな家にはいていられるかと、すぐに家を飛び出してまた旅に出てしまうのです。でも一方ではとても人情深くて、思いやりがあって、繊細で、優しい人でもあります。すぐに怒りますし、喧嘩っ早いのですけれども、一方でとても優しくて、困っている人がいれば助けようとする。単純で素直で、愛すべきキャラクターです。

この映画を観ていると家族は良いなあと思います。寅さんは怒ってすぐに家を出て、放浪の旅を繰り返すのですけれども、必ずまた家に戻って来るのです。それは、旅に出ている寅さんのことをいつも心配して、寅さんの帰りをいつも喜ぶ家族の存在があるからです。帰って来ても、大抵寅さんはまた騒動を起こして、喧嘩して、家を出ていくのですけれども、必ず戻って来る。それは、やはり寅さんを迎える家族の存在があるからです。この映画を見ていて家族は大切だなあと思います。

また私は寅さんを見ていて、自分自身の姿に似ていると思います。私も、寅さんのように自分が短気だと感じることがあります。寅さんほど喧嘩っ早くはないと思いますし、放浪の旅に出ることはないのですけれども、些細なことにイライラしてしまう。落ち着かない思いになるということはあることです。そして、欠点のある自分を受け入れてくれる家族の存在が大きいと思うことがあります。寅さんにもいつも、自分が帰ることのできる家族がありました。

これはあくまでも寅さんの話なのですけれども、聖書を見ても、家出をして放浪をしていた人が再び家に帰って来るという話があります。聖書の中で家出をしたこの人は、自分が一度父親から離れて、自分の思うように、自分の好きなように生きてみたい、そう考えたと言われます。

この息子は父親の家を遠く離れて、外国で放蕩の限りを尽くして、お金が尽きてしまった。そこで惨めな生活を強いられていた時に、彼はようやく我に帰ったと聖書で言われます。我に帰った、つまり父親のこと、自分の家族のことを思い出しました。父親の元にもう一度帰ってみよう、父親に赦してもらって何とかやって行けるかもしれない、こう考えたのです。父親は、息子が考えていた以上に、帰って来たこの子を心から喜んで、愛し、迎え入れたという話です。

この聖書に出て来る、息子が父親のところに帰ったという話は、寅さんが家に帰る話とはかなり違うのです。それはこの聖書の場合は、一人一人が神という方の下に帰る話が語られているからです。この話の父親とは、神のことを表しています。聖書は驚くべきことに、人間にとっての本当の父は神なのだと言います。そして、一人一人がこの神のもとに帰ることを語っているのです。

もちろん、地上の家族は大切な存在です。寅さんのようにいつもそこに帰ることができる素晴らしい存在です。しかし一方で、地上の家族には弱さもあります。いろいろなことがきっかけで、家族の中に憎しみが生まれることがあります。同じ一つのところに住んでいても、バラバラということもあることです。家出をした家族が帰って来ても、喜んで迎えるどころか、返って赦せないということもあるかもしれません。家族は私たちにとって紛れもなく必要な存在なのですけれども、同時に弱さもあります。

私たちが本当に安心をして、安らかな気持ちで、心から帰ることのできる場所はどこでしょうか。聖書が教えているのは、神という方に帰ることです。私たちは、聖書に出て来る一人の息子のように、実際に家出をして放蕩することはないかもしれません。けれども、一人一人は神から離れて生きている一人の罪人だと語ります。私たち人間も、神から離れて、まるで放蕩をするようにただ自分の自由に生きているのだと聖書は語るのです。

しかしそういう私たちも、人生のある時に、ふと我に帰らされることがあります。自分が駄目な者だ、希望の無い者だと知らされることがあります。そして神に希望を持つ人にされるのです。神の元に帰ろうと思うようになります。私たち一人一人の人生にそのような時があると、聖書は私たちに教えています。

聖書の神という方は、どのような私たちをも受け入れてくださる方です。私たちが帰ろうとする時に、拒むことは絶対にありません。一人一人が我に帰って神に帰るならば、神はそのことを無条件に、大いに喜ばれます。私たち人間が戸惑うほどに喜ばれるのです。それは神が、それほど一人一人を愛しておられるからです。神という方こそ本当の父親のようであり、そこに本当に私たちの帰るべきところがあると、聖書は教えています。お一人お一人がこのような方を求めていただくことを願っています。

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