神の声に聞く

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聖書の言葉

わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。

新約聖書 ヨハネによる福音書 10章27節

宮﨑契一によるメッセージ

私は今沖縄のキリスト教会で牧師として働いています。

沖縄は海がきれいで、とても住みやすい場所です。何といっても人が親しみやすくて、生活することが楽しいと思う時もあります。多くの人たちが観光や移住のために沖縄に来る、そのことも分かるように思うのです。

ただ同時に沖縄という場所は、ニュースでも知られているように、日本の米軍基地の七割が集中している、という特殊な場所でもあります。私自身も毎日の生活の中で、ヘリコプターや戦闘機の大きな騒音が聞こえることもよくあります。その音によっては、家の中で会話をすることも難しくなるのです。そして気がつくといつの間にか、その音が当たり前のように生活をしている自分に気づくこともあるのです。私も以前は関西に住んでいたことがあったのですけれども、沖縄にいてやっぱりそことは全く違う場所に今自分が置かれている、と思わされるのです。

私たちは、毎日色々な音に囲まれて生活をしています。それは、自分に心地良い音ばかりではありません。自分が不快に思うような音、生活の妨げになるような音があります。たとえ沖縄のように戦闘機の爆音がなかったとしても、私たちの周りにはいろいろな声があるのです。何よりも他人からの声、言葉があります。それによって自分が深く傷ついたり、悩まされることもあります。そういう時に私たちは、世の中に住みにくさを感じることがあると思います。

いろいろな声や音が私たちの周りにある中で、やはり私自身は、本当の声を、言葉を聞きたいと思います。本当に自分が喜べるような声、自分を生かすような言葉を聞きたいと思うのです。牧師である私にとっては、それは聖書の言葉、神の言葉ということになります。

人はとても弱い存在だと思います。周りに聞こえる声や音によって、本当に打ちひしがれてしまったり、生きることに希望を見出せなくなってしまうことがあります。だから、私たちがどういう言葉を喜んでいるのか、どのような言葉に聞いているのか、このことは生きる上でとても大事なことだと思うのです。私自身は沖縄にいて、いろんな騒音に囲まれる中で、聖書にある神の言葉に聞いてみたい、真実の言葉に養われたいと思います。それは、人間の中にはそのような言葉はないと思うからです。

聖書に出てくる中心人物は、イエス・キリストという救い主です。イエスはある時、一人一人の人間を羊にたとえられました。そして自らを良い羊飼いにたとえられます。「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」とイエスは言われました。良い羊飼いは羊のために命を捨てる、とあるように、イエスは人が本当の命に生きるため、ご自身が犠牲になり命を捨てて十字架につけられた方です。それほどに、一人一人の人間を羊のように愛する、と言われるのです。

人間は、とても強いとは言えないような存在です。自分は他のものに頼らなくても、一人で生きていける、それは確かに立派で力強く見えるかもしれません。しかし人間は、自分が病気になったり、色々なことに苦しむ中で、本当に弱くされることがあります。それまで強かったような人が弱くされて、それまで人前で決して涙を見せなかった人が、涙を流すようになる、そういった人の姿を見ることがあります。私たち人間は、実は決して強い存在とは言えなと思うのです。

そういう中でイエスは、わたしは良い羊飼いである、と言われます。わたしは羊のことを知っている、羊はわたしの声に聞く、と言われます。羊はわたしの声に聞く、こうあるように、聖書にある神の言葉は、イエスの語る言葉のことです。イエスの言葉は人間を真実に生かす命の言葉だと言われます。だからイエスは、私たちにこう語られています。あなたたちはこの世の中で多くの声や言葉に囲まれて生きている、しかしその中でわたしの羊はわたしの声を聞き分けて生きる、これにこそ羊は聞くのだ、こう言われています。

イエスが一人一人を羊にたとえられるように、人間は色々な声に惑わされて本来あるべきところから迷い出ることが多くあります。だから羊には羊飼いが必要です。よくない羊飼いであれば、悪い方向に迷い出てしまうこともあるかもしれません。しかしイエスは、わたしこそ良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる、このように私たちに語りかけています。

不思議なことに、歴史の中で、多くの人たちがこのイエスの呼びかけに従うようになりました。世の多くの声がある中で、何よりもイエスの言葉に聞いて生きるようになったのです。

聖書は、私たちの人生の苦しみや悩みといったそれぞれの時に、必要な言葉を私たちに語ります。羊飼いであるイエスが、それぞれの時に、皆さんに必要な言葉を語られるのです。私たちはそういうことに期待をして、聖書という書物を開くことができます。どうぞ人生の中で、この言葉に一度は触れてみてください。

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